親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会を脱会するには勇気が必要です。

親鸞会を脱会するには勇気が必要です。

よく質問されることの一つに「なぜ親鸞会の会員は会員であることを辞めないのでしょうか?」
というのがあります。私自身も、15年間親鸞会に所属していましたので、私自身の心理状態を振り返って考えて見たいと思います。

「因果の道理」でがんじがらめ

大きな理由の一つが親鸞会では何度となく話を聞いている因果の道理です。この因果の道理は、親鸞会においては「貴方が助からないのは貴方が原因だ」という理屈に使われています。実際、私も過去はそのように思っていました。
具体的に言えば、「自分は宿善が薄いから」「自分はこれまで聞法してこなかったから」「自分はこれまで夜眠れないほど無常を感じたことがなかったから」「真剣に一言も聞き漏らさず聴聞できたことがなかったから」「罪悪で苦しんだことがないから」などなどです。

これらに共通していることは、過去の自分に原因があって現在の自分は救われないという考え方です。そうなると、常に救われない現在は「どうしようもない現実」となります。なぜなら過去の事実を変えることは誰もできないからです。

しかし、それでは「現在ただ今」救われるということは永遠になくなります。そして会をやめるということは「会で積み上げてきた行為」を放棄することになるので、「過去の行為によって未来が決まる」と考える人は会を辞められなくなります。


とはいえよく考えて見ると阿弥陀仏のただ今の救いは「過去の私の行為」とは何の関係もありません。ただ今助けると呼びかけられる南無阿弥陀仏を聞き入れるのが救いです。
そのただ今の救いに背を向けて「親鸞会にいれば将来助かるかも知れない」という可能性に生きるのは、「親鸞会では助からない現実」から自分を守っているだけです。そういう現実に目を向け、過去や未来に逃げない勇気を持ってください。そうすれば親鸞会を辞めることができます。