親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

2014-3-25のエントリーに追記:内部統制に明け暮れる親鸞会

「親鸞会には救われている人がいません」(親鸞会機関誌・顕真平成26年3月号より) - 親鸞会を脱会した人(したい人)への追記エントリーです。

親鸞会機関誌の顕真平成26年3月号の記事について前回書きました。その後に思ったことを書きます。

◎ある人
 親鸞会には救われている者が、いないのではないか。(1)
親鸞学徒
 じゃ、どこに救われた人が多くいる所があるのか。堂々といえるか。
(顕真平成26年3月号より)

このやり取りは「ある人」が信心獲得している場合は成り立たないことを、前回書きました。改めて考えて見ると、この「顕正一口メモ」の大前提は、「ある人」が信心獲得をしていないことです。では、真宗にかかわる人で「親鸞学徒」さんが信心獲得していないと確信を持っている相手は誰でしょうか?



答えは「親鸞会会員」です。なぜなら、高森会長の出身団体にしろ、僧侶、門信徒、退会者のなかに親鸞会がいうところの「自称獲信者」は存在します。そんな相手に上記のようなやり取りを機関誌に載せる意味は全くありません。全く顕正出来ないからです。


そうなれば、この想定問答の「ある人」は親鸞会に疑問をもった会員であり、「親鸞学徒」はその疑問を打ち消そうとする講師部または幹部会員となるのが自然です。


書き換えるとこうなります。

親鸞会会員
 親鸞会には救われている者が、いないのではないか。本当に親鸞会に所属し続けて救われるのか?
 そうでないなら、親鸞会を辞めます。
◎担当講師・幹部会員
 じゃ、親鸞会以外のどこに救われた人が多くいる所があるのか。いたとしても堂々といえないような異安心しかいない。だから貴方は、親鸞会を辞めてはいけない!!


「世界唯一の真実の真宗を伝える高森顕徹会長」の親鸞会で、救われた人がいないという現実から会員の目をそらせる為に書いたのが今回の顕真の記事です。それだけ会員の間に「本当に救われるのだろうか?」「そもそも救われるといいながら講師部が誰も救われていない団体は大丈夫なのか?」の不審が高まっているからです。最近の機関誌で、とくに本願寺派への攻撃が激しくなっているのは、内部の不満を外に向けるための苦肉の策でしょう。そうでもしないと、度重なるお布施に嫌気のさした会員をつなぎ止める事は出来ないのが今の親鸞会です。世界に真実を伝えるといいつつ、内部統制に汲々としているのが現実です。


「私もそう思ってた」という現役会員の方へ、
貴方の疑問はとても全うなものです。ただ今阿弥陀仏に救われるには、本当に親鸞会に留まり続けるべきか、冷静に考えて見てください。