己の心知らされた 聖人の悲痛なお叫び
講師部 A
(略)
見ざる、聞かざる、言わざる、は何とかなっても、思わざるだけはどうしてもやまなかったと、親鸞聖人は20年間、自己の心と取り組まれ、悲痛なお叫びを繰り返しておられます。それは私たちに、心の動きを見て行きなさいとのご教導でした。
大宇宙を飛び回り、他人には言えない念々の心の動きを真面目に見ていかねば求道は始まらない、と決勝点に向かう一本道をお示しくださまいました。
「恩徳讃」そのままに突き進まれる先生のみ跡を慕い、親鸞学徒の使命に燃え尽くさねば、と決意新たにしております。
この講師部Aさんは、私が顕真学院にいたころからお世話になった人です。親鸞会入会時点から数えれば40年は経っている人です。
このAさんの法友通信を読んで言いたいことは二つ有ります。
1.親鸞聖人が比叡山で修行して知らされたことを求めるのは間違い
これについては答えは簡単です。親鸞聖人は、比叡山で二十年間ご修業されましたが、それを他の人に勧められたことはありません。
それどころか、親鸞聖人が比叡山で二十年間修行された自力の行を捨てなさいと勧められています。
(72)
http://goo.gl/4OhtR
願力成就の報土には
自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら
如来の弘誓に乗ずなり(高僧和讃・浄土真宗聖典―註釈版P591)
これは、本願力によって成就した浄土には、自力の行で行けるところではないので、大乗仏教、小乗仏教の聖人といわれる人達も、それらの自力の行を振り捨てて、阿弥陀仏の本願にまかせて救われるのであるといわれたものです。
そのような和讚を書かれた親鸞聖人が、「自分と同じ自力仏教の修行をせよ」と言われるとはとても思えません。