親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞聖人ができなかったことをやり遂げようとする親鸞会講師部員(宗教法人浄土真宗親鸞会機関誌・顕真平成25年11月号法友通信より)

己の心知らされた 聖人の悲痛なお叫び
講師部 A
(略)
見ざる、聞かざる、言わざる、は何とかなっても、思わざるだけはどうしてもやまなかったと、親鸞聖人は20年間、自己の心と取り組まれ、悲痛なお叫びを繰り返しておられます。それは私たちに、心の動きを見て行きなさいとのご教導でした。
大宇宙を飛び回り、他人には言えない念々の心の動きを真面目に見ていかねば求道は始まらない、と決勝点に向かう一本道をお示しくださまいました。
「恩徳讃」そのままに突き進まれる先生のみ跡を慕い、親鸞学徒の使命に燃え尽くさねば、と決意新たにしております。

この講師部Aさんは、私が顕真学院にいたころからお世話になった人です。親鸞会入会時点から数えれば40年は経っている人です。


このAさんの法友通信を読んで言いたいことは二つ有ります。

  1. 親鸞聖人が比叡山で修行して知らされたことを求めるのは間違い
  2. (高森)先生のみ跡を慕いは、善知識だのみの変形

1.親鸞聖人が比叡山で修行して知らされたことを求めるのは間違い

これについては答えは簡単です。親鸞聖人は、比叡山で二十年間ご修業されましたが、それを他の人に勧められたことはありません。
それどころか、親鸞聖人が比叡山で二十年間修行された自力の行を捨てなさいと勧められています。

(72)
願力成就の報土には
 自力の心行いたらねば
 大小聖人みなながら
 如来の弘誓に乗ずなり(高僧和讃浄土真宗聖典―註釈版P591)

http://goo.gl/4OhtR

これは、本願力によって成就した浄土には、自力の行で行けるところではないので、大乗仏教、小乗仏教の聖人といわれる人達も、それらの自力の行を振り捨てて、阿弥陀仏の本願にまかせて救われるのであるといわれたものです。


そのような和讚を書かれた親鸞聖人が、「自分と同じ自力仏教の修行をせよ」と言われるとはとても思えません。

2.(高森)先生のみ跡を慕いは、善知識だのみの変形

Aさんがどれだけ高森会長を慕ったとしても、それに従っていくのは善知識だのみの異安心です。
こういうとAさんはそれでもいいといわれるかもしれません。しかし、浄土真宗でたのむところは南無阿弥陀仏であって知識ではありません。


いうことがコロコロとかわる高森会長であることは、Aさんもよくご存知だと思います。惚れた弱みで高森会長についていっているのかもしれませんが、それで浄土往生はできません。


南無阿弥陀仏とそのいわれを聞いてください。必ずただ今救われます。