親鸞会機関誌顕真*12月号の記事を、小学生でも気が付くような矛盾にさえ気が付かない高森顕徹会長: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~で知りました。
詳しい内容は、上記のリンク先をご覧下さい。読んで思ったことをエントリーとして書きます。
書いて有る内容を、まとめると以下の2点になります。
- 高森会長が法論に事実上の敗北宣言
- それをフォローするために掲載したと思われる参加者の手紙が、とどめを刺している。
記事の内容は、以下のものです。
「白道」は自力か、他力か
講師部・特専部への昨年12月のご講義で、高森先生は、本誌10月号の「ひと口問答」を詳しくご解説くださった。
「白道」を自力の心というのは間違いだ、と非難してくるのは、本願寺でもかなりの学者と見られる。それを、どう破られているのだろうか。(顕真平成25年2月号の記事:小学生でも気が付くような矛盾にさえ気が付かない高森顕徹会長: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~より)
親鸞会・高森会長の主張に対する非難に、講師部特専部対象の講義が行われたようです。批判に対して、高森会長が反論をして、批判するものがどれだけ間違っているかを教えたという内容でした。その講義の参加者から高森会長への手紙の一部が掲載されています。
特に、講義の内容が端的にまとめられているのが以下のものです。
K特専部長
善導大師が、二河白道の譬えで「自力」だと教えられた「白道」を、親鸞聖人は「他力」と読まれたことを教えて頂きました。
また、高森先生は、「白道」とは「他力」ではないかという非難が来ることをとっくの昔に予測され、相手に打ち込ませるようにご説法なされていたことにも驚きました。((顕真平成25年2月号の記事:小学生でも気が付くような矛盾にさえ気が付かない高森顕徹会長: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~より)
高森会長自身が、二河白道の譬えで白道を「自力」だと親鸞聖人は教えられていないと認めました。つまり、批判してきた人の意見が正しく、自分が今まで大勢の会員の前で話をしてきたことは、親鸞聖人の教えではなかったと認めたわけです。
このブログを読まれている方は、親鸞会の会員または元会員が多いと思います。私もそうですが、過去に高森会長が「二河白道の譬」の話を何度も聞きました。そのいづれもが、「白道=自力」という説明でした。もう少し、詳しく書くと「わずか四五寸の白道を進んでいくのが求道であり聞法である」というものです。つまり、白道に乗り進んでいく過程は、信前であり、自力だということです。そこで「その白道を進んでいくと往くも死、かえるも死、止まるも死の三定死を迎えた時に西岸上の喚び声が届く」というのが、過去何度も話をしてきた高森会長の「二河白道の譬」です。
上記のような話を聞けば、「白道=自力」と思うのが当然です。事実、そう話をしてきたので、批判する人もそのように親鸞会に意見を送ったのです。
それに対する回答が「私は間違っておりました」でしたから、勝ち負けで言えば負けであり、裁判で言えば被告人は有罪ということになります。
ところが、その有罪が確定した裁判を、このK特専部長はなんとか弁護しようとしたのか続けて
また、高森先生は、「白道」とは「他力」ではないかという非難が来ることをとっくの昔に予測され、相手に打ち込ませるようにご説法なされていたことにも驚きました。(前述)
と書いています。
結果的に、会長が意図的に親鸞聖人の教えられた通りに説いてこなかったことを手紙に書き、機関誌に掲載までされています。もちろん、この手紙の掲載を決めたのは親鸞会弘宣局ですから、弘宣局の編集責任者も同意見なのでしょう。
顕真に載せなければ、一般会員にはわからなかった内容をわざわざ機関誌に載せた結果はどうなったのでしょうか?
一言で言えば「高森会長は、長年親鸞聖人の教えと称して親鸞聖人の教えと異なることを説きつづけていました」と会員に知らせました。弁護どころか、とどめを刺してしまいました。
加えて言えば「非難が来ることをとっくの昔に予測され、相手に打ち込ませるようにご説法」してきた高森会長は、打ち込まれた相手に切り倒されている訳ですから、何のためにそんなことをしているのか全く意味がありません。そのような話をしてきたのが本当ならば「高森会長は参詣者の後生のために話をしてこなかった」ということです。
ここで会員の人に考えてもらいたいことがあります。「高森会長が参詣者のために話をしていない」のは二河白道の譬だけが例外なのではありません。いつもの高森会長の話は、16時に終わりますが、仏願の生起本末という意味ではいつも途中で終わり、「続きはまた」の話ばかりです。「16時からの続き」が今まで聞けたことがあるでしょうか?「16時まで説法、続きはまた」の繰り返しで、「今度こそ続きを」の気持ちで親鸞会に残っている人が多いのではないでしょうか?
「16時からの続き」は、今後も高森会長の法話で聞くことはありません。なぜなら、2月号の顕真で、親鸞会自らが「高森会長は親鸞聖人の教えと異なる教えを説きつづけてきた」と認めているのですから。
顕真2月号を持っている現役会員の方は、もう一度よく読んで、何のために自分が親鸞会に入会したのかをよく考えて見てください。
*1:顕真…会員の中で会費を一定額以上納入している人向けの機関誌