親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

自らを異端と自称し始めた親鸞会(顕真6月号より)

高森顕徹会長の著書「歎異抄をひらく」の反論書が出ないことをもって、正統派が沈黙していると主張してきた親鸞会でしたが、最近は自らを異端と称するようになりました。

毎年10冊は出ていた『歎異抄』の解説書が、一冊も出なくなりました。
これまで、浄土真宗の、教えの「正統」と名乗ってきた者たちは、「異端」としてきたはずの高森先生の書に、何の反論もできないまま沈黙をまもっています。(親鸞会機関誌顕真平成24年6月号P16より)

比較のために2010年1月更新の、親鸞会公式サイトには同様の文章がありますが、表現が異なります。

一体、どちらが正統で、どちらが異端か。はっきりさせなければならない。
歎異抄をひらく』の内容に誤りがあるというのなら、堂々と反論書を出すべきではないか。
 決して平行線にはならない。正邪の判定は、親鸞聖人の主著『教行信証』によってのみ決せられるのだから。
 反論大歓迎である。高森先生は必ず再反論されるであろう。

http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20100105tannisho.htm

この当時も、公式サイト上では「異端」という言葉を使わないようにしていましたが、ネット上の批判を耳にしてか、親鸞会が「異端と呼ばれている」ということを認めるようになりました。

2年前の公式サイトには「反論大歓迎である。高森先生は必ず再反論されるであろう」と堂々と書いていましたが、教義上のことについて法論を申し込まれても逃げの一手が高森会長です。

昭和53年の20周年退会で、高森先生は、「浄土真宗の流れを変えよう」と呼びかけられた。(顕真6月号P18より)

と言ったのは遠い過去のことのようです。

過去には非難を受けても、自らこそが親鸞聖人の正しい教えを伝えている団体であると主張していたのが、今は「自分たちは異端と呼ばれている」ですから随分と変わったものです。

「正統と異端、われらの手で決着を」といいますが、当の会長が法論からも逃げながら、どうやって決着がつくのでしょうか?すでに、親鸞会は異端と自認している現状です。