親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

新聞広告の変遷に見る。親鸞会会員にとっての「絶対の幸福」

先日、親鸞会館での報恩講の新聞広告が出ました。2018年(平成30年)5月の降誕会から数えて、4回目の広告掲載となります。
そこで、今回のエントリーでは、過去の新聞広告を比較して、親鸞会の現状を考えて見ました。

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5月降誕会の広告


歎異抄をひらく」の著者であることを全面に打ち出して、歎異抄の話をするということを全面に打ち出しています。

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6月の広告
6月は「正信偈歎異抄」を広告に使っています。

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8月会員追悼法要の広告
この月は、追悼法要ということで歎異抄正信偈ではなく、「加茂川に入れて魚に与うべし」のお言葉を全面に打ち出しています。

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10月報恩講広告
そして、最新の広告は「なぜ生きる」「絶対の幸福」と「親鸞聖人」の言葉が大きく出ています。

広告からわかる親鸞会の勧誘方法

こうして広告をならべていくと、広告を作成している親鸞会の考え方がよく分かります。
最初は「歎異抄」「正信偈」などの文句を掲げて、浄土真宗に関心のある人に訴えかけます。しかし、それ以降は「なぜ生きる」「絶対の幸福」にシフトをして行きました。丁度、親鸞会の大学生勧誘も同じようなルートをたどっていました。最初は「歎異抄研究会」という名前で、勧誘をしていましたが、やがて「成果が出るから」を理由に、「人生の目的」や「絶対の幸福」を全面に押し出すようになりました。

「人生の目的(なぜ生きる)」「絶対の幸福」しかない親鸞会

そうやって勧誘した人に、「その答えは親鸞聖人の教えの中にある」とはいうものの、その実情は人生の目的を達成したという人も、絶対の幸福になった人もいないという不思議な団体が親鸞会です。
60年近く経っても、看板に掲げる「絶対の幸福」になった人にほとんど出会うことがないのは、可能性としては二つしかありません。

  1. 親鸞聖人は「絶対の幸福になれる」とは教えられていない。
  2. 親鸞聖人は「絶対の幸福になれる」と教えられているが、親鸞会の教えがそもそも親鸞聖人の教えと違う。

どちらにしても、「絶対の幸福」に成りたい人も親鸞聖人の教えを聞きたい人も親鸞会を出るしかありません。

親鸞会会員本当に「絶対の幸福」になりたいのか?

新聞広告よりも、より多くの人を勧誘しようとして親鸞会が作成したwebサイトが
hare-media.com
です。

「お悩み解決と明るく生きるヒントが満載」とありますように、「絶対の幸福」の言葉は、このサイトでは殆ど出てきません。新規会員を勧誘するためにはもはや「絶対の幸福」という言葉も、出さなくなりました。

これは「入会者数を増やすためには仕方がない」と会員はいうかもしれませんが、私はそうは思いません。親鸞会員にとってはもはや「絶対の幸福」というのは信じられないことであり、信じていないからこそ勧誘の時点でその単語を避けています。

もはや、信心決定もほぼ夢物語のように思っている会員にとっては「お悩み解決と明るく生きるヒント」ぐらいなのが親鸞会にいる意義に成っています。

「お悩み解決」「明るく生きるヒント」親鸞会にあるでしょうか?

これは、私も親鸞会にいたのでよく分かりますが「熱心な親鸞会会員」はあまり悩みがありません。「苦しみ」はあっても「悩み」はありません。それはなぜかというと、自分で考えることを放棄してしまうからです。「なぜ生きる」の悩みも、「どう生きる」の悩みもすべて親鸞会に預けてしまい、自分で悩むことをやめてしまいます。そういう意味で「悩み」はなくなりますが、親鸞会活動での「入会目標に達成しない」とか「睡眠時間が短い」「経済的に厳しい」などの「苦しみ」はあります。
「明るく生きるヒント」も、「自分は正しい団体に所属している」という意識だけでなりたっているに過ぎません。「自分が正しい」と「信じている人」にはある種の迷いはないので明るく生きることもできるでしょう。


しかし、親鸞会会員の皆さんは少し振り返って見て下さい。どれだけ貴方が「自分は幸福だ」「人生の目的を知った」と強弁しても、家族や親戚、友人の多くは「それはよかったね」とはいわず、多くは反論し、そうでない人は冷ややかな目で貴方を見ていたのではないでしょうか?


その反応については親鸞会を除名になり、或る程度年月を重ねるとよくわかります。それは、教えが正しいかどうかということが周りの人が判断できたからではありません。ただ、貴方が「受け売りの話だけをして、自分で全く考えていないから」です。さらにいえば、「思考停止」しているからです。そんな人の話を本気で聞く人はありません。


だからこそ、親鸞会会員は「高森顕徹会長の権威」を強調し、「500年に一度の善知識」といったりします。そういう権威を強調するままが、自身の無信心・無信仰の表明にほかなりません。なぜなら、自身の信心(信仰)は関係なくただ、高森顕徹会長を賛美しているだけだからです。

もはや「絶対の幸福」も信じない親鸞会会員

それでも、「絶対の幸福」を信じて活動してきた親鸞会会員でしたが、ここ数年の現役会員や、脱会者から話を聞くと「絶対の幸福」を信じている会員は少数派のようです。もちろん、少数の「ものすごい熱心な会員」は「絶対の幸福」を信じています。ところが、多くの会員は思考停止による「お悩み解決」「明るく生きるヒント」で満足しているのではないでしょうか。


その現れとして、前述の「くもりのち晴れめでぃあ」や、親鸞会講師の勧誘サイトは「こころがホッとする」などの文言がよく使われます。仮に異安心であったとしても、本気でそう思っているなら「私は絶対の幸福になりました」とか「絶対の幸福があります」というでしょうが、そんなものはありません。



そういう意味では、私の家にも時々来るエホバの証人の信者よりも、親鸞会会員は信仰がないといわざるをえません。エホバの証人の方々は、私が「浄土真宗の信者です」といっても、自身の教義を話をしようと頑張っています。それに対して、親鸞会会員はどうでしょうか?高森顕徹会長があれほど強調している「絶対の幸福」を、新規会員を勧誘するサイトには全く載せていません。つまるところは、信じていないということになります。


最後に、ここまで読まれた親鸞会会員の方に向けていいます。
「絶対の幸福」にはなれません。しかし、南無阿弥陀仏のお救いによって、ただ今救われ、命尽きればお浄土に往生して仏になることがあります。ただ今救う本願を、ただ今聞いて、ただ今救われて下さい。