親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「弥陀の善巧方便はもの凄い“だまし”」の記事がものスゴイだましな件(親鸞会機関誌・顕真2018年6月号より)

親鸞会の機関誌顕真2018年(平成30年)6月号を読みました。


以下、思ったことを書きます。
今回気になった部分は、P30からの特専部懇親会(法友通信)
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うまくだませば総理になれる!?
弥陀の善巧方便はもの凄い“だまし”
でした、見出しからして目を引きますが、内容を読むといよいよ開き直った会長と、それを何とか自分の中で納得しようとする会員の現在がよく分かるものでした。


だまし屋が
  騙しとられて
 大悲の子

誰もがウソをついている。森友・加計問題も、危険タックルも、当事者の言い分は食い違う。頭を下げながら、誠実さをアピールする気持ちもあろう。
仏眼からごらんになれば、すべての人は「だまし」の常習犯。それがだましとられて救われるとは、どんなことか。上記のお言葉について、4月末の特専部懇親会で教えて下さった。(O)(顕真2018年6月号)

法友通信ですから、その特専部懇親会の参加者から高森顕徹会長への手紙を掲載する形で、どのような内容だったかを伝える記事になっています。

その中から一部抜粋して紹介します。

「だまされ導かれてきたことも知らされる」技術士
(略)
真面目な求道者のフリをして、だましているつもりだったのが、実は、弥陀の遠大なご方便にだまされ誘引されていたことも、大悲の願船に救い摂られた一念に知らされます。親鸞聖人の「三願転入」の教えを簡潔に言い表されたお言葉と拝しました。

「壮大なだましと至福のだまされ者」(弁護士)
(略)
真実の善も、「やればできる」とうぬぼれています。そんな私たちに、無上仏がヤル気を出させて「やりなさい」と善を勧められ、だまし導いて救い摂ってくださるのだと聞かせていただきました。
(略)

親鸞会的「三願転入」も、主にネット上では批判をされ高森会長も最近表立って言わなくなりました。とは言え、絶対に間違ったとは言わない会長は、いよいよ苦しい言い逃れを始めたようです。


かつては「宿善を厚くしなければ、信仰は進まない」といっては、会員に親鸞会が言う善(高森会長の法話に行くこと、お布施を親鸞会に出すこと、親鸞会に人を誘うこと)を推進してきました。その後、「宿善論争」で、表立って「宿善」と言えなくなったところで、言い始めたのが「親鸞会的三願転入」でした。
しばらくは「19願は修諸功徳だから善をしなければ、横の線は勧めない。必要だから建てられたので要門と言われる」と主張して、また会員へ親鸞会でいう善を推進してきました。


もちろん高森会長の主張するようなことは、親鸞聖人は全く言われていません。そのことについての解説は、以下のリンク先を参照して下さい。
shinrankaiuso.blog76.fc2.com



ネット上で、教義的に根拠のないことを長年話してきたことが暴露されると、次に高森会長の考えることは「会員もこのことを知っているのではないか」という疑心暗鬼でした。もっとも、多くの会員が見ているからこそ、多くの会員がこの10年で辞めきました。


そこで、今回の特専部懇親会で、いよいよ疑心暗鬼に耐えられなくなったのか、言わなくてもいいことを言ったのが今回の記事に出ていることです。


高森会長の考えを意訳するとこういう事です。
「みんな(特専部員)は、ワシ(高森会長)に騙されたと思っているんだろ?また、そういう疑念を持っているんだろう?それは違う。騙したのはワシじゃない!阿弥陀仏だ!」

書いてて頭が痛くなるような発想ですが、これが偽らざる高森会長の現在の頭の中です。こういうのを謗法罪といいます。


しかし、そんな話を聞いた上での特選部員の反応も、また一周回ったものでした。
上記の紹介した部分をまとめると、以下のようになります。
「いままで、疑念を持ちながら真面目な特選部員を演じて会長を騙してきたつもりでしたが、ところが阿弥陀仏に騙されていたんですね!驚きました。これからは、騙されていることを知りつつ、騙されたふりをして頑張ります。」


もっと短く本音に近づいて書けば、「『阿弥陀仏が私を騙している』と私たちをまた騙そうとしている会長に騙されたふりをしばらくします」となります。


会長も、特選部員も「阿弥陀仏が私を騙している」ことにして、今後も「親鸞会的三願転入を続けます」ということになったようです。もちろん、会長もこんな詭弁が通用するとは本気で考えてはいないでしょうし、それを詭弁と知りつつ「感動しました」と騙されたふりをする特選部員も罪深いです。そんな記事のタイトルにある「だまし屋が騙しとられて」は、師匠も弟子も真実を語らず聞かず、真実に向かおうとする意思もない現状をよくあらわしています。

われも信心決定せず、弟子も信心決定せずして、一生はむなしくすぎゆくやうに候ふこと、まことに自損損他のとが、のがれがたく候ふ。あさまし、あさまし。(御文章1帖1通)

http://labo.wikidharma.org/index.php/御文章_(一帖)#.E3.81.82.E3.82.8B.E4.BA.BA.E3.81.84.E3.82.8F.E3.81.8F

蓮如上人が言われる通りです。


最後に、ここまで読まれた会員の方のために書きます。
阿弥陀仏は騙すような仏様ではありません。本願真実を、受け入れないのは私の方で、阿弥陀仏が騙すということはないことです。
ただ今救うの本願は、言葉の通りそのままです。ただ今聞いてただ今救われて下さい。