親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

気合いでなんとか救われるという親鸞会(2018年08月19日(日)高森会長の話より)

2018年08月19日(日)は高森会長の話が親鸞会館で行われました。公式サイトではなぜか、7月までは案内があったのに、今回は公式サイトでは案内がありませんでした。

今回は

映画『なぜ生きる』より。
蓮如上人のお言葉「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです」とは、どんなことでしょうか?

についてでした。


それについての高森会長の話は、一言で言えば「聞く姿勢が大事」ということでした。
その根拠として

(31)
たとひ大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなふなり
浄土和讃浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P561

https://goo.gl/qGZBef

(155)

一 仏法には世間のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」と、『和讃』(浄土和讃・三一)にあそばされ候ふ。

が出てきました。

しかし「火の中わけて」とか「世間のひま(仕事)をやめてきけ」という精神論ばかりで今回の話は終わりました。


もし、精神論が正しいとすれば、親鸞会の活動に付いていけるようなよほどの精神力と、経済力と体力をもった人でなければ救われないようです。実際、私が親鸞会講師であっときも、上記の理由から「とてもついていけない」「とても続けられない」と親鸞会を退会された方を多く見ました。


また、仮に会員を続けられたとして「真剣になれた」人しか救われないという話です。


親鸞聖人は「仏の御名をきくひとは」といわれています。これは、「真剣に聞いたかどうか」ではなく「仏の御名を聞いたかどうか」が、「ながく不退にかなう」かどうかの分かれ目です。
しかし、今回の話では(今回に限らずほとんど)仏の御名(南無阿弥陀仏)についての話はありませんでした。


南無阿弥陀仏をなきものとして、気合いで生死を離れようというのは聖道仏教の教えです。浄土門は、聖道門をすてて浄土に入れと法然聖人も勧めておられますので、親鸞会をすてて、浄土の教えを南無阿弥陀仏を聞いて下さい。ただ今救われて下さい。