親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

映画「なぜ生きる」の「幸せな人生にガラリと変わる」について長い釈明を続ける高森顕徹会長(2018年04月08日(日)二千畳講演会)

2018年04月08日(日)富山県射水市親鸞会館で、高森顕徹会長の二千畳講演が行われました。
参加された方から、聞いたことから感じたことを書きます。

内容は、映画『なぜ生きる』の中の蓮如上人のお言葉についての質問に答えるというものでした。

「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか。」(42ページ)


具体的な内容は、以下のブログにも書かれています。
hiun.cocolog-nifty.com

shingikensho.blog12.fc2.com

何度も同じ質問が続くのはなぜか?

会員の皆さんにとっては、今回の映画「なぜ生きる」のシナリオからの質問はおなじみのものです。すでに、この「大悲の願船に〜ガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか」についてはすでに何回も出ています。
それについて、高森顕徹会長から何回もいろいろな話で解説をしていますが、それでも続いて同じ質問が出続けるのはなぜでしょうか?

答えは、高森顕徹会長の回答がいつも問いに対する答えになっていないからです。

では、なぜ何度話をしても、この質問について答えたことにならないのでしょうか?
それは、この問いがそもそも成立しないからです。なぜなら「苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」というのが、間違っているからです。


「幸せな人生にガラリと変わる」?

こう書くと「そんなことはない」と思われる方もあると思います。確かに、阿弥陀仏の本願通りに救われると、生死を離れて浄土に往生させて頂けますし、仏のさとりをえさてて頂けます。そういう意味では、大変わりをするわけです。また、人生も変わってきます。

しかし、親鸞会会員の方ならすでによく聞いている通り、例え救われたとしても「凡夫」であることには何の変わりもありません。それは親鸞聖人が、一念多念証文に言われている通りです。*1

その「臨終の一念まで煩悩は変わらない」と聞いているその一方で「苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」と聞いてどう理解しているでしょうか?「死ぬまで煩悩は変わらないけれど、苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」と思ってはいないでしょうか?私もそう理解をしていました。阿弥陀仏に救われたならば「不安が消える」とか「心がほっとする」ように思っていました。


しかし、阿弥陀仏が救うと本願に誓われているのは、「私を浄土に生まれさせる、仏にしてみせる」ということであって、煩悩によって日々つらい思いをする私の煩悩をなんとかしてやるというものではありません。


往生定まることと、あらゆるトラブルが無くなるは違う

病気に例えると、「病気を治す」というのが阿弥陀仏の本願であって、「人生をガラリと変える」という本願ではありません。もちろん、それまで長いこと苦しんでいた病気によってそれが根治すれば、ある意味でそれまでの人生とは変わってきます。また、病気が治った喜びもあります。しかし、病気以外の苦しみは病気を治すことによって解消はされません。例えば、人間関係の苦しみなどは、病気が治ることと関係がありません。


今回の高森顕徹会長の話も、いろいろと根拠は出すものの言いたいことは「(阿弥陀仏に救われると)私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」です。それも、オセロゲームで例えるとそれまでほぼ黒一色の盤面が、阿弥陀仏に救われると全部白く変わるかのように会員に説明をします。「苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わる」と言えば、聞いている会員の「苦しみの人生」で連想する生きていく上での様々なトラブルが、すべて無くなるように理解をします。今まで親鸞会で、辛い目にあってこられた皆さんが「阿弥陀仏にさえ救われれば……」といろいろな「利益」を期待する気持ちも分かりますが、あくまでも阿弥陀仏の救いは「浄土に生まれさせ、仏にしてみせる」です。


こういうと「では現生十種の利益を否定するのか?」という方があります。もちろん、現生十種の利益はあります。
しかし、親鸞会での現生十種の利益の解説や理解は「51段のさとりと等しい境地にたってすべての患いから離れたもの」のようになっています。
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注)私の過去の入正定聚の益のイメージ


しかし、そんなものではありません。


まとめ

高森顕徹会長の「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わるとは、どう変わるのでしょうか。」は、「阿弥陀仏にさえ救われれば、人生のあらゆるトラブルが解決する」かのように、会員を誘導する意図があるため、まともに解説をしようとするといろいろとつじつまが合わなくなってきます。なぜなら、阿弥陀仏の本願は「人生のあらゆるトラブルを解決する」ものではないからです。
ないものをあるかのように色々と根拠をならべてそれらしくしても、会員を誘導しようとする会長の意図がそもそも無理があるので、その言い訳に終始しているのが高森顕徹会長の話です。
それは最近、国会で話題になっている内閣の種々の問題に対する首相や大臣の答弁を聞くようなもので、どれだけ聞いても結論はでません。
高森顕徹会長が真実を説くというのなら「真宗にないことを説いていました」というだけです。それでこそ、「真実を説き切る善知識」と言うものではないでしょうか?

*1:「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。