親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「歎異抄をひらく」を再び大きくとりあげる親鸞会の狙いとは?

昨年まで、映画「なぜ生きる」一色といってもよかった親鸞会ですが、今年はなぜか「歎異抄をひらく」に力を入れて報道しています。
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顕正新聞平成30年2月1日号1面)
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顕正新聞平成30年1月1日号論説)

理由を見ると、この高森顕徹会長の著作「歎異抄をひらく」が出てより今年で10年だそうです。その間、この「歎異抄をひらく」に対する反論書が出ていないということを主張しています。それが「空白の十年」だそうです。


このように切りの良い数字を強調するのは、親鸞会結成60年を迎えるからです。そこで、高森顕徹会長の功績を会員に印象づけるために、このような大げさな報道をしています。

歎異抄をひらく」の裏で「なかったこと」にされた「宿善論争」

親鸞会結成60周年を祝おうという機関紙の企画は分からなくはありません。しかし、公式サイトを見て親鸞会の歴史や高森顕徹会長の略歴を見ても、本願寺派との「宿善論争」が掲載されていないのが気になりました。

宿善論争については、検索するといろいろ出てきますが、一部を紹介します。
shinrankai.jugem.jp
shinrankaishukuzen.seesaa.net
d.hatena.ne.jp
shinrankaidakkai.hatenablog.com

この「宿善論争」は古参の親鸞会会員ならよく知っていることです。かつては、高森顕徹会長が正統な真宗教義の後継者であり、かつ唯一の善知識である証拠のように会の中では喧伝されていました。


しかし、実際のことを言えば、伝統教団(主に本願寺派大谷派)が高森顕徹会長の浄土真宗親鸞会の教義について言及したのはそれ以降ありません。「浄土真宗のなかのちょっと変わった団体なのかな?」と思われている間は、「それはちょっと違うのでは…」という指摘もあります。事実そういう指摘は、過去に親鸞会に向けてありました。ところが、この「宿善論争」で、伝統教団が分かったことは「高森顕徹会長の親鸞会は、浄土真宗ではない」ということでした。高森顕徹会長が、「本願寺なぜ答えぬ」を発刊したのは、1984年(昭和59年)でした。それから34年間、高森顕徹会長が何を言っても伝統教団からの反応はありません。

その後、なんとか伝統教団の注目を集めようと発刊した「歎異抄をひらく」でしたが、それについての言及はとくにありませんでした。学問の世界では、その文章がどれだけ引用され、言及されたかということが一つの影響力の目安になります。それからすると、高森顕徹会長の「歎異抄をひらく」を引用し、言及した「歎異抄解説書」は1冊もありません。


顕正新聞で「空白の十年」と、仰々しく書いていますが、要するに「私の書いた本を引用してください!!!批判でもなんでもいいから、何か言って下さい!!」という、高森顕徹会長の自己承認欲求を紙面に書いているに過ぎません。いわゆる「かまってちゃん」の言葉を、なんとか体裁を整えて紙面にする弘宣局の皆さんの心労を考えると、同情の念を禁じ得ません。
その高森顕徹会長の要請を受け、顕正新聞の一面にもう何年も「真実開顕へ刻む時 ○年○ヶ月」と掲載し、その間「反論書が出ない」から「歎異抄の解説書が出ない」そのうち「二三見えても抜粋のみで……」とトーンダウンしながらも掲載を続けました。
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高森顕徹会長の性格を知らない人がこの紙面を見ると「なぜ十年近く前の自分の著書に反応がないことをここまで機関紙の一面に書き続けるのだろう」と思うでしょう。では、なぜこれほど「歎異抄をひらく」を取り上げるのかは、高森顕徹会長の承認欲求以外にありません。

「褒め讃えられたいのだ!!!」しかない「歎異抄をひらく」の再掲載

この部外者から見て唐突な「歎異抄をひらく」の再掲載(おそらく会員にとっても同様)の理由は、繰り返しになりますが、もう少し露骨に言えば「褒め称えられたい」以外にはありません。
解る人にはわかる、漫画「刀牙道」8巻
刃牙道 8 (少年チャンピオン・コミックス)
より、引用します。これは、科学技術で現代によみがえった宮本武蔵が、何を考えていたのかということを告白する場面です。(もちろん創作なので実際の宮本武蔵がこういう人だったという史実はありません)
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「出世したいのだ!!!誉め讃えられたいのだ!!!」
この後に続くセリフは
「誉められて誉められて誉められて・・・逃げも隠れも出来ぬ身となりたいのだ!!!」

こういう心以外には、高森顕徹会長にはないでしょう。

おそらく、これだけ顕正新聞で記事を書き立てたとしても、「歎異抄をひらく」について言及する本は出ないでしょう。
なぜなら、「歎異抄をひらく」自体は、過去の歎異抄の解説書の焼き直しが殆どで、「こんな解釈はいままでなかった!!」と批判が巻き起こるようなものはないからです。すでに、おかしな点はネット上で散々批判を受けています。
歎異抄をひらく: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
hiun.cocolog-nifty.com
shinrankaidakkai.hatenablog.com

明らかに批判を受けた「なぜ生きる」「なぜ生きる2」については、なかったことにして映画を作り、比較的批判が少ないと親鸞会が考える「歎異抄をひらく」を全面に出さねばならないところに、親鸞会の現状が伺えます。「なぜ生きる」に対する反論書が出ないのは、親鸞会に対する伝統教団の認識を考えれば当然のことなので、こじつけで「歎異抄の解説書が出ていない。少しは出てるけどそれは認めない」という無理筋な主張をするしかありません。

かつてのように、「自分たちこそ真宗の正統な後継者」と言えるものが、何もないことのあらわれです。
自身も高齢化し、自分の立ち上げた「宗教法人浄土真宗親鸞会」が、伝統教団から「褒め称えられたい」ことが、今の高森顕徹会長の最大の関心事です。

ここまで読まれた会員の方は、そういう個人の「誉め讃えられたいのだ」に付き合う必要はありません。阿弥陀仏の本願を、正しく説かれるところを探して聞いて下さい。ただ今救われます。