親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

新体制になり最後のカーブを曲がった親鸞会(顕正新聞平成30年1月1日号を読んで)

2018年となり、今年は平成30年です。振り返ると、私が親鸞会を除名になってから10年になります。この間あっというまだったように感じるのも年齢のせいかも知れません。私自身もその間いろいろと身の回りは変わってきましたが、親鸞会も大きく変わっていくようです。

それが顕正新聞平成30年1月1日号に書かれていました。以下、思ったことを書きます。

高森会長の年頭所感は、聞法姿勢の話でした。それに続く、高森光春講師局長と吉村甲子郎総務局長は2月からの新体制についての話でした。

新体制とは何なのかを、以下引用して紹介します。
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今年から新体制となる。われら講師部員は本来の布教戦線に突入する。2月から支部学徒から選出された親鸞学徒は一切を行うことになる。講師部員は一向専念、法施1つに命を懸けるのだ。
広く親鸞聖人のお名前は知られているが、肝心の教えを知らぬ人が圧倒的である。それらの方々を映画『なぜ生きる』にお誘いし「一実・円満の真教・真宗」の教えを大声疾呼するのだ。まさに打って出る秋が来たのである。
同志の親鸞学徒は、自らの聞法と法施に挺身するとともに、“銃後の守り”に団結をお願いしたい。
顕正新聞平成30年1月1日号4面 高森光春布教局長の年頭所感より)

この2月からスタートする新制度で講師部員は、法施のみに生きる本来の姿に専念する。親鸞聖人が、一夜の宿を縁として日野左衛門を済度された如く、高森先生が、京都で辻説法から始められて、やがて家庭に入って親鸞聖人のみ教えを伝えられたように、講師部員が民家を訪問して、心ゆくまで話をする。じっくり時間をかけた法施により、一人一人の胸から胸へと教えが浸透してゆく、それが布教の減点、とのご教導である。
本願寺の衰退を他山の石として、ひたすら親鸞聖人のみ教え一つに生きるのが、浄土真宗親鸞会であることを年頭に心に刻みたい。
(同 5面 吉村甲子郎総務局長の年頭所感より)

まとめると、今までの親鸞会にあった各地の支部は各地に講師部員が支部長として担当し、会員のいろいろなお世話をしてきました。それが今後は会員が支部を運営し、講師部員は新規会員を探す活動に専念するようです。

文中に「打って出る秋が来た」「“銃後の守り”に団結を」と出てくるところを、見ると親鸞会はかつての太平洋戦争で言えば、いよいよ末期に突入してきた感じがしました。

かつては

一 一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。(御一代記聞書)

を引用し、本願寺を「無信心集団」と批判してきた親鸞会でした。そうして、多くの会員はこの会で「信をとる」ことを考えて入会しました。しかし、そうして集まった会員に「あとは自分たちで何とかして下さい」と放り出し、布教戦線と称する人集めに講師部員をほぼ全員使うというのが新体制のようです。

これまで焼き畑農業のように、会員が入会しては多くの会員が退会していき、また別の場所や方法で勧誘することを続けてた親鸞会でした。それでも、残った会員に対して親鸞会側から講師部員が担当となり「法施」をしてきました。今回はそれも打ち切り、持てる人的資源の全てを新規会員を増やす活動に集中することになったようです。

親鸞会で活動していると、「なぜそんなに会員を新規に集めなければならないのか」ということは疑問に思わないかもしれません。確かにいまだ浄土真宗を知らない人が、それを知ることはとても大事なことですが、入会さえしたらあとは放置で、お布施を出せばいいという実体では、結局金集めの為に動いていると言わざるをえません。では、なぜそんなに金が必要なのかといえば、平成始まって以来の30年間つくり続けた施設の数々の建築費と維持管理費が大きな原因です。

会館を満堂にするのは、親鸞聖人の教えを弘める為や「一人なりとも、人の信をとる」ためではなく、満堂にしないと会が潰れてしまうからです。最早何の為に活動をしているのかが、そもそもの設立趣旨からすると変わっているのですが、「新規会員が増えねば会が潰れる」という現実の前には「とにかく今月の入会者を○人」しか親鸞会講師部員の頭の中にはないでしょう。

高森顕徹会長からの指示で、まさに最後の新規会員を増やす総力戦に突入した感のある親鸞会です。遠くない将来残るのは、「シネマ学院」で上映される映画「なぜ生きる」とその解説映像だけになっているかもしれないと、今回の顕正新聞を読んで感じました。