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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「難度海を度する大船」の厳存と「その乗り方」が、宝くじが当たるコツを言っているような違和感について(親鸞会機関紙顕正新聞平成29年1月1日号より)

前回のエントリーにも書きましたが、親鸞会機関紙顕正新聞平成29年1月1日号の年頭所感(高森顕徹会長)にある以下の文章について、書きます。

親鸞聖人の「教行信証」には「難度海を度する大船」の厳存と、「その乗り方」以外に記されてはいない。(顕正新聞平成29年1月1日号「年頭所感_高森顕徹会長」より)

http://shinrankaidakkai.hatenablog.com/entry/2017/01/01/075142

この表現は、親鸞会会員には耳なじみのあるものです。平成13年に発刊された「なぜ生きる」からずっと高森顕徹会長が使い続けている表現だからです。
なぜ生きる
しかし、「難度海を度する大船の厳存」はいいとしても、「その乗り方」というのには、大変な違和感があります。なぜなら、映画「なぜ生きる」の表現で言えば、難度海に溺れているのが私たちで、それを助ける船が「難度海を度する大船」とすると、「船がなぜ出来たか」「船はどうして造られたか」「船はどうやって溺れている人を助けようとしているか」が書かれているのが教行信証だからです。どこにも「乗り方」は書かれていません。「乗った」とか「乗ったらこうなった」という内容はあっても「私の乗り方」はどこにもありません。
それは、海上保安庁がどうやって海難事故にあった人を救助するかを書かれた文章の中に、「救助のされ方」が記載されていないのと同じです。


このような説明では、納得されない親鸞会会員の方も多いと思います。そこで、この表現の違和感に似たものを、先日NHK Eテレ放送「ねほりんぱほりん」から「1億円当選者まとめ」で見つけたので紹介します。


こんな番組です。
www4.nhk.or.jp

「顔出しNGの訳ありゲストはブタに、
聞き手の山里亮太とYOUはモグラの人形にふんすることで
「そんなこと聞いちゃっていいの~?」
という話を“ねほりはほり”聞き出す新感覚のトークショー。
作りに作り込んだEテレお得意の人形劇と、
聞いたこともないような人生の“裏話”が合体した
人形劇×赤裸々トークをお楽しみください!(NHK番組情報より)

そこで、過去に宝くじで1億円当選した人が登場する回で、当選するコツを当選者が語っていました。
そこからいくつか紹介します。
www.nhk.or.jp

【山里】何かこう、当せんにつながる、そういうのあったりするんですか?

【ユキコ】日ごろの行いが一番大事なことで

家の近所にゴミが落ちてたりとか、落ち葉が散らかってたりした時に、

ま、拾ったりとか、あるいは、倒れた自転車をちょっとこうね、普通に…

【YOU】わかるわー。

【ユキコ】立て直すとか。

http://www.nhk.or.jp/nehorin-blog/100/257542.html

【ユキコ】後は、ご老人の方が道を聞かれる時とかもあるんですけれども、

親切にわかりやすく、道案内をして差し上げるですとか。

【山里】はあ。

【ユキコ】ちょっとした本当の親切なんですけども。

【YOU】そーかー。

【ユキコ】まあ、いろいろみなさん、やってらっしゃると思うんですけれども、

私は自分をですね、信じるということですよね。

必ず当たる強い気持ちで買いに行かなければ。

【YOU】へぇ~

【山里】へぇ~、精神論なんだぁ。

http://www.nhk.or.jp/nehorin-blog/100/257542.html

ここで当選者が語っているのは宝くじの「当て方」です。「日ごろの行い」「親切にする」「必ず当たる強い気持ちで買いに行く」と言っていますが、これで当たると皆さん思われるでしょうか?親鸞会会員の多くの方は、宝くじを買うこともないでしょうから「そんなことで当たる筈がない」と思われると思います。
では、なぜ「そんなことで当たる筈がない」と思われるのでしょうか?それは、これらのコツと宝くじ当選は何も関係がないからです。実際に、宝くじに当たるかどうかは、買ったかどうかであって買う前の行為には関係しません。

しかし、親鸞会会員の方が、難度海を度する大船に乗るための乗り方として「日ごろの行い」「親切にする」「必ず乗る強い気持ちで高森顕徹会長の話を聞きに行く」を心がけているのではないでしょうか?

「こういうことをしていればいつか助かるのではいだろうか?」
「強い気持ちで法座に臨まねば」と思っているのは、宝くじのあたるコツを心がけている人と何もかわりません。宝くじならコツといいますが、宝くじが当たるような気持ちでそれを阿弥陀仏の救いにもっていくと、自力と親鸞聖人はいわれます。

自力といふは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。 (一念多念証文)

https://goo.gl/njfyWA

この自力は、ここでいえば「精神論」であって、実際のところ阿弥陀仏が私を助けるに当たっては関係がありません。なぜなら阿弥陀仏は、自分の力で難度海をわたることが出来ないものを助けるのであって、日ごろの行いや精神論を持っている人だけを助けることはないからです。


もちろん宝くじと違い、阿弥陀仏の救いは、私を助けようと働いて下さいます。それに対して宝くじは、私に当てようと働いたりはしません。

阿弥陀仏は、私を助けるために働いておられます。私の方では、その乗り方はありません。もし、そんな乗り方があるという話を聞いた時は、上記の宝くじの当たるコツと比べて見て下さい。言葉を変えたところで「大船の乗り方」というのは、親鸞会自身が否定し続ける「助かるコツ」と意味は同じです。「助かるコツなんてない!」と強弁する人もあるでしょうが、その実は宝くじ当選者の「精神論」と変わらないことに気がついて下さい。それこそ「助かるコツ」以外のなにものでもありません。


南無阿弥陀仏の救いに「助かるコツ」はありません。ただ今救う本願に、ただ今救われます。