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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「新宗教」興亡史(別冊宝島)−信者たちに聞いた!この宗教の「年間費用」掲載の親鸞会記事を読んで思ったこと

「新宗教」興亡史 (別冊宝島 2523)

「新宗教」興亡史 (別冊宝島 2523)

新宗教」興亡史(別冊宝島)に親鸞会についての記事が掲載されていたので紹介します。

このムック本は、現代の代表的な新宗教団体の現状についていろいろと書かれています。その中で、多くの有力教団(信者数)の中で親鸞会が取り上げられていたのは、「3章『信者』と『教祖サマ』」のなかの「信者たちに聞いた!この宗教の『年間費用』」でした。他に紹介されていたのは、幸福の科学創価学会真如苑、世界平和統一家庭連合でした。それらと比較してみると、親鸞会という団体がどういうものかがよく顕れていました。

比較の為に、真如苑親鸞会の記事の一部を紹介します。
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年間総額も違いますが、特徴は何に多くの費用がかかっているかです。

上記の表からわかることは、親鸞会会員が会員として出している費用の大部分が、親鸞会館での高森顕徹会長の法話を聞く為の交通費、ご法礼、お布施となっています。これは、他の団体に比べて特徴的なことです。


ここから分かることは、親鸞会は知識帰命の団体だということです。「教えが大事」といいながら、つまるところ「高森顕徹会長」の話を聞かねばならないのが大前提となっています。だからこそ、親鸞会会員の多くは「高森先生の話」を聞く為に会員を続けています。ですから、親鸞会に長く在籍していると、経済的な負担のなかで、「○○お布施」に負担を感じることはあっても、本部参詣に関する経費は「あって当然」のこととなり「なかったこと」になってしまいます。


しかし、特に近年高森顕徹会長の話の質が低下していることから、そこまでして富山の本部に参詣すること自体に疑問を感じている会員も相当数いるのではないかと思います。この記事を読まれている会員の方にお聞きします。貴方が、富山の親鸞会館まで足を運んで「本当に行って良かった」と思ったのはいつが最後でしょうか?行かねばならないから行っていると思ってはいないでしょうか?


法話とは、文字通り「法」の話です。「法」とは、阿弥陀仏の本願であり、仏願の生起本末であり、南無阿弥陀仏のことです。難度海の話をするのが法話ではありません。因果の道理の話をひたすらするのが法話ではありません。船の話といっても、「船がある。以上」では法話ではありません。本願のいわれ、南無阿弥陀仏のいわれを聞くのが法話です。親鸞会会員の方は、本当に親鸞会館で「法話」を聞かれていますか?法話を聞くのを聴聞といいますから、法話でない話をいくら聞いても聴聞とはいいません。「仏法は聴聞に極まる」を貫くのであれば、法を聞く場に足を運んで下さい。今の親鸞会館で「法話」がされているかどうかは、貴方が自分の心に尋ねてみて下さい。