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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

映画「なぜ生きる-蓮如上人と吉崎炎上-」の感想

本日、2016/05/28東京のキネカ大森にて、映画「なぜ生きる」を、見てきました。f:id:yamamoya:20160528220546j:image

本当に映画館で上映していることに、いろいろと感じるところはあります。
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回り回って頂いた前売り券で入場です。

 
この日の夕方上映は、都内はこの映画館だけでした。そのため、50人くらいで満員の映画館の観客の多くは親鸞会会員と講師部員でした。
 
映画の上映が始まると、主要スタッフの名前が一人か二人づつ画面に大写しに出てきます。その何番目かに「脚本 高森顕徹」の文字がスクリーンに大写しに出てきてかなり目立ちます。しかし、パンフレットに著者「明橋大二」「伊藤健太郎」の文章は掲載されているのに、高森会長の文章は載っていないのは、なにかの気遣いなのかとも思いました。
 
内容は、他の方がブログに書かれているので簡単に書きますと、「親の葬式に高額な葬式代金を要求されてすっかり坊主嫌いとなった了顕が、家族の死をきっかけに蓮如上人の話を聞くようになる。やがて蓮如上人の弟子となった本光房了顕は、吉崎炎上の際、自らの命を賭して教行信証を護る。」といったものです。
 
次に、映像は10年以上前の「世界の光親鸞聖人シリーズ」に比べてかなり良くなっています。ある場面で出てくる墨絵がCGで動き出す場面はかなりの出来だと思います。
 
そこで肝心の感想ですが、元会員の目線で見ると「いかにも親鸞会の発行物」というものでした。
なぜなら、どの場面も以前製作されたものを、そのままコピーしたものだからです。蓮如上人の説法は、ほぼアニメ親鸞聖人第3部の安楽房、住蓮房の辻説法です。坊主嫌いな了顕は第4部の日野左衛門。吉崎炎上は、以前製作された「血染めの恩徳讃」とまったく同じです。もちろん、同じ題材、同じ御文の説明なら同じになるのは仕方がないという方もあると思います。しかし、そのまま前のを持ってきて批難されそうなところを削っただけのセリフの数々に、観客に何かを訴えようという意思がどこにも感じられません。それは、親鸞会の発行物全体にそれは共通していることです。
 
比較をすると、内容に問題が多く見られるアニメ世界の光親鸞聖人第1部の方が、まだ「ここを見て欲しい」という情熱は感じました。第1部完成から24年たって、親鸞会がいかに内向きに変わってしまったのがよくわかる映画でした。言い方を変えると、アニメ親鸞聖人シリーズと王舎城を90分に再編集して批判を受けた部分を削ったものです。
 
そのような外部の人間の批判をかわすためのシナリオ製作では、観客に訴えかけるものがないのは無理もないことです。エンドロールに「協力していただいた皆さん」として名前が出てくる、おそらく多くのお金を今回のアニメ製作に出した人と団体の名前を見て、改めてこれらの人に本当に信をえて浄土往生して頂きたいという気持ちで作ったとは思えませんでした。
 
それ以外では、劇中で本願寺のご本尊が「親鸞会でしか使われていない貼り合わせ名号」だったのはとても気になりました。ところがパンフレットにはその場面が綺麗に避けてあるところに本当は親鸞聖人の書かれたご名号でないことを認めているのだと思いました。

最後に「どうすれば大悲の願船に乗れますか?」については、説明しているかのようなセリフは幾つかあるものの実は肝心なことは何も言っていません。パンフレットには少しだけ書いてありますが、劇中にはないものでした。
 
その意味では「なぜ生きる」の映画化としては、完璧だったのではないかと思います。
 
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