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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

(書評)「運命を切り開く因果の法則」(伊藤健太郎著)ー2015年度版『なぜ生きる第一部』宗教法人浄土真宗親鸞会の現在がわかる本

宗教法人浄土真宗親鸞会講師でもあり、「なぜ生きる」(高森顕徹監修_浄土真宗親鸞会会長)の著者のでもある伊藤健太郎氏の新刊「運命を切り開く因果の法則」を読みました。以下、感想を書きます。

運命を切り開く因果の法則

運命を切り開く因果の法則

どのような内容なのかは、1万年堂出版のサイトから紹介します。

どうして私が……。なぜ私だけが……。

人生において、何度となく浮かぶこの問いに、「これも運命だ」「運が悪かった」とあきらめている人は少なくありません。
頑張れば幸せになれると信じているのに、現実は、不幸や災難が、次々と振りかかってきます。
どうすればつらい思いや怒りが消え、心の安らぎが得られるのか。
古代ギリシャソクラテスプラトンから20世紀のサルトルまで、世界の哲人は皆、「幸せな運命」を探求してきました。それは、ブッダが発見した、運命の「原因と結果の法則」を証明してきた歴史でもありました。
幸せの原因と結果の法則が分かれば、人生が変わる!

本書は、哲学が運命の謎に挑んだ2500年の歩みをたどり、未来に向かって、前向きに生き抜く知恵を明らかにします。

運命を切り開く因果の法則 | 1万年堂出版

この内容紹介から解るように、本書は一見哲学者の言葉を紹介しながら運命の「原因と結果の法則」を解説する本になっています。実際に読んで見ると、運命について語った哲学者の言葉の引用も多く、またお釈迦さまの御言葉もパーリ語経典の日本語訳をつかっています。そのため、この本を読んで、宗教法人浄土真宗親鸞会が新規会員を集めるために書いた本だと想像できる人は、親鸞会を知らない人にはまず不可能な内容と成っています。


一読した上での私の感想は、「なぜ生きる」第一部の2015年度版だというものでした。

なぜ生きる

なぜ生きる

『なぜ生きる 高森顕徹(監修) 明橋大二 / 伊藤健太郎(共著)』は、平成13年(2001)4月20日に発売された本で、監修の高森顕徹氏(宗教法人浄土真宗親鸞会会長)が、50年間の布教の集大成として世に出したものです。内容は二部構成となっており、第一部は伊藤健太郎氏が原案を書いたものです。当時の親鸞会学生部での大学新入生の勧誘には、この「なぜ生きる」が大いに使われていました。当時の親鸞会の学生勧誘は「いかに宗教色を薄めて勧誘するか」が大きな課題となっていました。そのため、哲学者の言葉、ヒット曲、話題になった本の引用をしつつ「なぜ生きる」に興味をもたせる内容になっていた「なぜ生きる 第一部」は、親鸞会学生部にとってはとても使える資料となりました。



それから時は流れて「なぜ生きる」発刊から12年が経ちました。今日の世情を反映して、宗教色をさらに薄めて自己啓発書と仏教をミックスしたような形にして出したのが「運命を切り開く因果の法則」です。もしこの本が、ただの自己啓発書として書かれたものならば、特に批判されることはないかもしれません。
しかし、この本を多くは親鸞会会員が読むことになります。事実、この本の内容は、一般の人向けに書いた体裁をとりながら、巧妙に会員にむけて、浄土真宗の教義を勘違いさせ、「親鸞会的三願転入」を突き進むように促しています。


ひらたく言えば「どんなに辛くても、今が苦しくても、善いタネを蒔けばかならずいつかは報われる」と本書は書いています。確かに、この世の生活上のことならばそういうことは言えますが、浄土往生に関しては話が別です。


どれほど修行をしたところで(六度万行をしたところで)、その結果として浄土往生は出来ないと教えられたのが親鸞聖人だからです。

(29)
像法のときの智人も
 自力の諸教をさしおきて
 時機相応の法なれば
 念仏門にぞいりたまふ
正像末和讃

http://goo.gl/76gQOt

ここで「像法のときの智人」といわれているのは、龍樹菩薩、天親菩薩のことです。それらの菩薩方も、自力の仏教を捨てて、念仏門に入られたという御和讃です。言い換えれば、龍樹菩薩のような方でも、六度万行を励んで浄土往生は出来ないから、念仏一つの救いである念仏門入られたのだから、末代の我等は当然念仏一つの救いによるべきであるという親鸞聖人の御勧めです。


これが浄土真宗(選択本願・第十八願)の教えです。それにもかかわらず、この本に代表されるように最近の親鸞会は「因果の法則・因果の道理」の話しかしていないと言っても過言ではありません。なぜそうなるのかと考えて見ると、彼等にとって、念仏、南無阿弥陀仏の救いはあてにならない、不確かなものと感じているということです。それよりも「因果の道理」こそ信じるに足るべきものと思っているのであり、そうでなければ誰も高森会長の話を聞いてくれないという現状認識のあらわれだと思います。


ではなぜ親鸞会会員(著者、伊藤健太郎氏をはじめ多数)は、親鸞会教義をそのまま言えば多くの人は話を聞いてくれないと感じるのでしょうか?理由は簡単です。高森会長の話は「善をせよ、だけど善をしても助からない」だからです。この話を、初めて聞いて納得できる人はいません。しかし、その話を聞きながらなぜだから真剣に善に励んでいるのが親鸞会会員です。ですから、親鸞会講師である伊藤健太郎氏が、その到底納得できない理屈を、自分自身納得させてきたプロセスを文字にして書いたものがこの本だということになります。


「善をしなければ信仰は進まない」
「だが善をして助かるのではない」
この矛盾した話を、自己完結できた人が真の親鸞会会員を続けられる人です。

しかし、よく考えて見てください。貴方が親鸞会でいう「善」(多額のお布施、人集めのために家族の入会金まで立て替える、チラシの配布)をした結果として、得られたものは何でしょうか?それら親鸞会における「善因」の「善果」は「親鸞会に居続けることが出来る」「親鸞会から後ろ指を指されない」くらいではないでしょうか?親鸞会教義から言っても「お布施をした結果、信心決定できた」という人はありえないはずです。仮に、十億円親鸞会に寄付をした人が、突然「私は親鸞会にお布施をした功徳によって救われました」という会員が現れたら親鸞会はどう対応するのでしょうか?私の予想ではいろいろ理屈をつけては、その人の発言を正すことはないでしょう。もしその方が亡くなられたら、機関誌に「本当の親鸞学徒でした。浄土往生を遂げられた」と無責任な記事を書くことは想像に難くありません。


親鸞会会員の方に伝えたいことは、貴方が日々活動をしているのは何のためですか?という事です。ただ親鸞会に居続けることためならばそれは目的違いです。貴方は浄土往生をする人なのです。浄土往生には、阿弥陀仏の第十八願を聞くより他にないというのが親鸞聖人の教えです。南無阿弥陀仏を聞いてただ今救われてください。


また、1万年堂出版では、著作権が切れた吉川英治の「親鸞」を発刊しました。有名作家の本を出すことで宗教法人浄土真宗親鸞会との関係性をなんとか薄めようといろいろ考えを巡らせるところには感心します。それだけ考える頭があるならば、自身の往生極楽を少しは考えてもらいたいものです。

www.10000nen.com

親鸞 第一巻

親鸞 第一巻


最後に親鸞会会員に、「運命を切り開く因果の法則」の引用を紹介します。

いかなる絶望にも、希望は注がれています。
運命は信ずるものではなく、切り開くものだからです。

平成二十七年六月 伊藤健太郎

親鸞会に従えば間違いない」と信ずるのではなく、変だと思うことがあれば包み隠さず行動に移してください。貴方が「親鸞会で言っていることはなんか変だよね」の思いは阿弥陀仏の警告と思ってください。