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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「『(親鸞会流)三願転入』と『三重廃立』は矛盾するのではないか?」と親鸞会会員が思ったことに高森会長が答えたこと

前回のエントリーで、「(親鸞会で言う)三願転入」と「三重廃立」は矛盾していることを書きました。そのことを書いているうちに、私が会員であったときにも同じことが多くの人に疑問となったことを思い出しました。

当時高森会長による「三願転入しなければ(19願の実践をしなければ)アリ一匹救われない」の強調は、それ以前に高森会長自身が話をしていた「三重廃立」と矛盾していることは、多くの会員が感じる所でした。


そこで、あるとき「三願転入と三重廃立の関係を教えてください」という質問が、会員から出ました。それに対する高森会長の回答は以下のようなものでした。

「三願転入の道を進んでいけば(横の線を進んでいけば)、縦の線で(信一念で)三重廃立させられる。それまでは、三重廃立したつもりでもできていないのだ。」
「内外廃立くらいは終わっていると思っているかもしれないが、それはつもりで本当は廃っていないのだ」
「聖浄廃立くらいは(以下略)」

しかし、これは明らかに詭弁です。なぜなら、以前は「三重廃立」については、内外廃立から、聖浄廃立、真仮廃立と段階的に進むような話をしていました。それが、本当に捨てられるのは、信一念であるということですから明らかに以前の話と違います。これは、親鸞会流の三願転入との辻褄を合わせるために言っているに過ぎません。


法然聖人も、親鸞聖人も、法を説かれるときは廃立の言い方をされます。「諸行を捨てて、念仏一行にせよ」と法然聖人は教えられました。

それに対して高森会長は、「諸行を実践して、もう諸行では助からないと骨身にしみて分かってから捨てよ」と言います。ただ、高森会長のいう「諸行」は、「お布施」と「人集め」です。余程、法然聖人、親鸞聖人が捨てよと言われた「諸行」が惜しいのでしょう。


思えば、親鸞会の教義がころころ変わるのは、この親鸞聖人が捨てよといわれた諸行(自力の行信)を、「実行せよ(拾いなさい)」と勧めている実態からくるものです。真宗教義と、団体の方針が矛盾するときに、親鸞会は団体の方針を優先して、教義を曲げることを選んだということです。


その瞬間から、親鸞会(高森会長)にとって、護るべきものの最優先は、「団体」「団体の方針」であって、「教義」「阿弥陀仏の救い」ではなくなりました。


これは、会員の人にとってもとても重要な問題です。貴方にとって、大事なことは「親鸞会という団体」でしょうか?それとも「親鸞聖人の教えられた阿弥陀仏の本願」「阿弥陀仏の救い」でしょうか?


もし「親鸞会という団体」が大事ならば、親鸞会会員を続けられたらいいのかもしれません。ただ、「阿弥陀仏の本願」が大事なら、お聖教をひらくなり、高森会長以外の人の話を聞くことをお勧めします。