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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「親鸞聖人を学ぶ」(1万年堂出版)に書いてある「秘事法門の特色」が殆ど親鸞会に当てはまる件

r 親鸞聖人を学ぶ」(1万年堂出版) 土蔵秘事(秘事法門)

親鸞聖人を学ぶ

親鸞聖人を学ぶ

親鸞聖人を学ぶ」は、親鸞会が現在どんなことに力を入れているのかがよく分かる本です。今回とりあげるのは、「秘事法門」です。「親鸞聖人を学ぶ」にも、取り上げられています。
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善鸞を祖とする『秘事法門』は、700年後の現在、どのような形で伝わっているのか。」P205にあります。

土蔵秘事の特色を要約すると、大体次の七つになる。
(1)「信心を早く獲させるコツがある」と広言し、個人教授しかしない。
(2)求道者が感情の興奮によって、泣いたり喜んだり踊ったり、激しく念仏すると、「それで助かったのだ」と、信心獲得したように言う。
(3)信心を獲たと思っている周囲の者も、こぞって「めでたい。めでたい」「よかった。よかった」と言うので、本人も信心獲得したつもりになる。
(4)そして、「我こそ信心を獲たり」「あんたらはまだ信心獲得できんのか」と平然と言う。
(5)本当に弥陀の本願に救われた人なら、より仏法を聞かずにおれなくなるものだが、彼等は助かったあとは、もう聞く必要はないとして、聞法する気がない。
(6)彼等のいう“善知識”は、親鸞聖人や蓮如上人(真宗中興の祖)のように大衆の前では説法しない。
(7)当然だが、堂々とした布教活動は全く見られない。
(「親鸞聖人を学ぶ」P207-P208)

以上7項目あげてありますが、高森顕徹会長と親鸞会に当てはまらない部分の方が少ないというのが私の正直な感想です。その理由を以下に説明します。

(1)「信心を早く獲させるコツがある」と広言し、個人教授しかしない。

これは、「信仰が早くすすむには」と称して、 「高森顕徹会長の法話を聴聞」「お布施と人集め」を勧めている点です。個人教授というのは、親鸞会では「高森顕徹会長以外の話を聞いてはならない」と言っているのがそれに相当します。


(2)求道者が感情の興奮によって、泣いたり喜んだり踊ったり、激しく念仏すると、「それで助かったのだ」と、信心獲得したように言う。

この部分は、親鸞会に当てはまりません。ただ、親鸞会では信心獲得したと言っている人が、殆どいないので、そもそもこう言う場面に出会うこともありません。



(3)信心を獲たと思っている周囲の者も、こぞって「めでたい。めでたい」「よかった。よかった」と言うので、本人も信心獲得したつもりになる。

この部分も、(2)と同じで、そもそも信心獲得したと言っている人や、その場面にあうことは殆どないので、当てはまるかどうかも言えません。



(4)そして、「我こそ信心を獲たり」「あんたらはまだ信心獲得できんのか」と平然と言う。

これは、高森顕徹会長の言動そのものですね。



(5)本当に弥陀の本願に救われた人なら、より仏法を聞かずにおれなくなるものだが、彼等は助かったあとは、もう聞く必要はないとして、聞法する気がない。

高森顕徹会長は、誰かの法話を聴聞することは、親鸞会結成以来ありません。もちろん、高森会長理論では、「唯一無二の善知識が自分自身」である以上、他の人の話は聞けないということになっているのかも知れません。しかし、お聖教を通して、親鸞聖人や蓮如上人から聞かせていただくということは出来るでしょうし、「より仏法を聞かずにおれなくなる」のなら尚更、お聖教を開くのではないでしょうか?


実際、私が親鸞会講師部員だったころでも、高森会長から「この本は良い本だから講師部員も読んだらいい」と勧められたのは、「教行信証講義」(山辺習学 赤沼智善)です。この本は大正時代に出されたものです。この本自体が悪いということではありませんが、これ以降教行信証に関してだけでも、いろいろな解説書がでています。その中には大変素晴らしいものも多く有ります。にもかかわらず、それらの書名を高森会長の口から聞いた事が有りませんでした。親鸞会を除名になったあと、世に出ている真宗関係の書物を読むようになり、「なぜこの本があることを知らなかったのか」と思うものが多数有りました。


なぜ、高森会長の口から最近の、少なくとも戦後にでた仏教書の話がでないのかと言えば、一番の理由は、本人が全くそれらのものに目を通していないからです。次にある理由は、「素晴らしい仏教書」を紹介すると、その本を書いた人のところへ会員が行ってしまうからです。著者が故人なら紹介しても問題ないということで、「教行信証講義」(山辺習学 赤沼智善)は紹介したのでしょう。


また、「高森会長はそんな学者の本は読まないのだ」と思う会員の方もあるかもしれませんが、それならお聖教をよくよく読んでいる高森会長は、なぜ法論に負けつづけているのでしょうか?

参照


親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

親鸞会法論惨敗の記録2〜飛雲より/ウェブリブログ

親鸞会法論惨敗の記録3〜飛雲より




信心の有無についてはいろいろ議論をしても第三者で判定できませんのでさておき、教義に関しては高森会長はお聖教を常に拝読しているとは、とても言えません。仮に高森会長が御聖教をよく拝読して理解することができるなら、少なくとも前回のエントリーに書いたような「因果の道理が分からなければ、親鸞聖人の教えは分からない」などと書けるはずもありません。


また、「高森会長の話は50年前から全く変わっていない」という話が、親鸞会では美談として語られています。よい意味で変わっていないならいいですが、その実は全く違います。間違いを指摘される度にころころ変えて、因果の道理の話しかしなくなったのが実態です。それは私自身が親鸞会にいたころに見聞きしたことを通してよく知っています。


例をあげると、以前高森会長は「信心決定すると、火に触ったよりハッキリする体験がある」と言っていたところ「それは一念覚知だ」と批判を受けました。それ以降、高森会長はその話を封印して、現在では「体験を強調するのは群賊悪獣だ」といいます。


次の例を挙げると、「宿善が厚くならねば救われぬ。コップに水をためるように宿善が貯まっていき。その水が溢れたときが宿善開発(信心獲得だ)」と話をしていたところ、本願寺との宿善論争が始まると、それも封印して、学生部に「そんな話をすると自力が間に合うことになるからしてはならない」と指導する始末です。


いろいろあった話が、批判されるたびに封印していき、そのうち言い出したのが「親鸞会的三願転入」です。それも批判されるとしばらく封印し、ほとぼりが冷めたと思っては再びだし、また批判されては引っ込めるの繰り返しです。現在は、因果の道理の話ばかりです。「因果の道理の話をする自体」が悪いのではありませんが、「因果の道理が分からなければ、親鸞聖人の教えは分からない」というのが大間違いです。そもそも因果の道理を信じて、それをもって阿弥陀仏の本願を規定しようというのがそもそも迷いです。



仮に「高森会長の話は50年以上変わらない」としても、50年以上繰り返しお聖教を拝読している人の話には仮に同じ話であっても「深み」や「厚み」が感じられるものです。よく親鸞会講師部員で会員の前で「会長先生の話は深いなー」としたり顔でいう人がいますが、本気でそう思っている人はあまりいないと思います。会員も含めて、大部分の人は「全く今までと深さも厚みも変わらない話だけど、大事な話らしいから真剣に聞かねば」と思っているだけではないでしょうか?ここまで読まれた現役会員の方は正直に自分の心を振り返ってみてください。


(6)彼等のいう“善知識”は、親鸞聖人や蓮如上人(真宗中興の祖)のように大衆の前では説法しない。

これは、最近の高森会長の法話が、富山の親鸞会館に行っても、別室からの中継であることにあたります。また、高森会長の法話日程は、親鸞会の公式サイトでさえ掲載されていません。仮に、日程を知って当日親鸞会館に足を運んだとしても、会員でさえ「会員バッチ」「名札」のない人は中に入ることが出来ません。まして、会員でない人はなおさらです。もちろん、「会員でない人用の名札」はありますが、それも親鸞会の支部長(講師部員)の申請がなければ発行されません。最近では、名札のチェックに加えて金属探知器での検査もバーコードリーダーを使うというのですから、これで「大衆の前では説法しない」に当てはまらないと言うほうが無理があります。

※コメント欄で、金属探知器ではなく、バーコードリーダーと教えて頂いたので訂正しました。

(7)当然だが、堂々とした布教活動は全く見られない。

これも、現在親鸞会が力を入れている、「アニメ上映会」「仏教教室」で、「親鸞会」も「高森顕徹会長」も、その宣伝文にはないことがその証拠です。

団体名も、その代表の名前も出さず「堂々とした布教活動」をしていると言えるでしょうか?また、「親鸞聖人を学ぶ」にも、親鸞会の「し」の字も書いてありません。


最後に 善鸞を祖とする『秘事法門』は、700年後の現在、親鸞会が一つの形として伝わっている。

上記に書いたように、「親鸞聖人を学ぶ」で規定する「土蔵秘事の特色」7つのうち、少なくとも5つは当てはまるのが親鸞会であり、高森顕徹会長です。残り2つについては、前述した通り、当てはまるも当てはまらないも言えないものです。


この「親鸞聖人を学ぶ」には、「親鸞聖人の教えと全く異なる秘事」という図解ベージがあります。それが、以下のものです。
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(「親鸞聖人を学ぶ」P209」)

しかし、上記書いてきたことを通して、上記の図解と親鸞会の現状を比較してみると以下のようになります。
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親鸞会基準」からいえば、秘事法門でしかない親鸞会に、最後に高森顕徹会長自身の言葉を読んで頂きたいと思います。

「秘事法門といへることは更に仏法にてはなし。あさましき外道の法なり。これを信ずる者は永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり」(御文章二帖十四通)
と仰言って、これらの者達は切りきざみても飽くかよと、蓮如上人も憤激なされています。
我々親鸞会会員は、この仏敵法敵の土蔵秘事撲滅の為に今こそ破邪の利剣をふりかざし、立ちあがらなければなりません。
(こんなことが知りたい4 21 浄土真宗に秘密事があるのかより)

この文章に従うなら、私のこのエントリーは「親鸞会的には正しい」ことになりますが、如何でしょうか?

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