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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

親鸞会会員が「横の線」を進んでいるのになぜ「縦の線」にたどり着けないのかを、エッシャー上りと下り(無限階段)から考える

前回のエントリー
「煩悩と疑情」を混同させて、会員を迷わせる高森顕徹会長(親鸞会機関誌顕真平成26年10月号を読んで) - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ
を書いていて、親鸞会高森顕徹会長がいつも板書している「縦の線と横の線」が、実際のところは「横の線」ではなくて「無限階段」になっているのだということがよく分かりました。


親鸞会会員ではない人のために、「縦の線と横の線」とは何かについて、最初に紹介します。以下は、顕正新聞に掲載されたものです。
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宗教法人浄土真宗親鸞会機関紙_顕正新聞平成26年7月15日号(7)より)
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宗教法人浄土真宗親鸞会機関紙_顕正新聞平成25年10月15日号(11)より)


上記のような図を高森顕徹会長は黒板にいつも書いています。図の右端の人間が、参詣者で、図にある横の線を通って縦の線にたどり着いたのが「信心決定」「救われた」こととします。その横の線を進むには、聞法であったり、善を実行しなければこの横の線は進めない。進めないということは、縦の線に到達するはずがないので、命がけになってこの横の線を進めという話をします。


そこで強調するのが「因果の道理」です。「蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える」と繰り返しいうことで、「親鸞会の勧めることを実行して、高森顕徹会長の話を聞き、お布施を出し、人を勧誘することが、この横の線を進むことだ」と会員に強調しています。


高森顕徹会長の話を100%真実と信じて、言われるままにそれらの「善行」を実行している会員は、「横の線」を確実に進んでいるはずです。一年経てば、すくなくとも去年よりは前に進んでいるはずです。その前提が正しいとすれば、さすがに会員歴30年以上の人は、かなり横の線を進んで縦の線に近づいているはずです。


しかし、実際の会員に聞いてみても、また私が親鸞会に在籍していたころの実感としても「横の線を進んでいる」という実感を感じている人はいません。


そこで前回のエントリーに紹介した記事を通して思い出したのは、M.C.エッシャーの「上りと下り」というタイトルのだまし絵です。

以下、画像を紹介します。一度はご覧になったことがある人も多いと思います。
http://www.mcescher.com/Gallery/recogn-bmp/LW435.jpg
(Ascending and Descending 上りと下り )

マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898年6月17日 - 1972年3月27日)はウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの版画製作でよく知られたオランダの画家(版画家)である。建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた。

マウリッツ・エッシャー - Wikipedia

この絵は、階段を無限に上りつづける絵が描かれています。無限に階段が続くので「無限階段」とも呼ばれています。この絵の世界は三次元世界にはありえない構造ですが、二次元の絵のなかでは成立しています。


なぜこの絵を思い出したのかというと、「横の線を進む」親鸞会会員が気がつくとスタート地点に戻っているのがそっくりだと感じたからです。

上記の絵に註釈を加えると以下のようになります。
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高森顕徹会長の話は、いつもころころ変わるのですが、それは単にころころ変わるのではなく、無限階段を昇るように変わっています。

「無限階段1 煩悩と疑情」

たとえば、前回のエントリーに紹介した「煩悩と疑情」を例にすると以下の図のようになります。
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「無限階段2 因果の道理」

また、因果の道理を例にとると以下のようになります。
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「無限階段3 親鸞会流三願転入」

もう一つ、「親鸞会独自の三願転入」を例に取るとこうなります。
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まとめ

上記の図にも示しましたが、高森顕徹会長は最初に「救いの道」を示しながら、途中でそれは間違いだと言っては、会員を「横の線のスタート地点」に戻すことを50年以上続けています。


親鸞会会員が、高森顕徹会長は「次元が違う」とよくいうことがあります。ええ、確かに次元がちがいます。ただし、私たちが住む世界を三次元とすると、高森顕徹会長の話は二次元です。二次元の世界では、エッシャーの「上りと下り」は成立しますが、現実世界ではあり得ないことです。


親鸞会会員の人に言いたいことは、「つじつまがあわない」話だと思いつつも「自分が間違っていた」と自分を否定することはもう辞めたらどうでしょうか?「つじつまが合わない」と感じるのは「貴方が間違っている」のではなく、エッシャーの絵のように「二次元ではなりたつ」というような仕掛けがあるのです。その仕掛けを「本当だ」と思うということは、平たく言えば騙されているのです。


御手元にある御文章を開いて、親鸞会で聞いたことを一度リセットしてよくよく読んで見てください。ただ今救われる本願を蓮如上人は示されています。


無限階段の横の線を進むのか、それともただ今救われるか、結論は出ているのではないでしょうか?よくよくお考え下さい。

参照


マウリッツ・エッシャーの錯視絵・作品ギャラリー【だまし絵】 - NAVER まとめ