親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

聞思=聴聞はなぜ間違いなのかについての追記(顕真6月号を読んで)


「あるところで『聞思=聴聞』と聞きましたが、それで正しいのでしょうか?」(頂いた質問) - 安心問答(浄土真宗の信心について)の追記として書きます。

上記のエントリーに書いた「聞思=聴聞」について、顕真*12014年6月号に関係した記事があったので紹介します。

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(顕真2014年6月号P12 信心の沙汰の記事)
上記記事は、今年の5月20日に親鸞会館で行われた降誕会の内容について、信心の沙汰(高森顕徹会長の話の復習)をしている様子を紹介したものです。

その中で、信心の沙汰の最後のあたりに「聞思=聴聞」の記事があります。
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記事にはこう書いてあります。学徒(会員)と支部長(親鸞会講師部員)との会話です。

学徒 親鸞聖人は「聞思して遅慮することなかれ」(教行信証)と仰っています。
学徒 「聴聞」と「聞思」はイコールで、聞く一つで乗せていただける、ということ。
学徒 そして、「モタモタするな、他に道はない。早く乗れよ」と教えられるのですね。大悲の願船のあることを知りながら、乗れなかったら、後悔どころでは済みませんね。
学徒 聞法に誘われても、「聞きに行こうか、どうしようか」とモタモタしてきた、私のことです。心を入れ替えて、これからしっかり聞かせて頂きます。
支部長 二千畳*2も、この会館も、阿弥陀仏の本願を聞くために建てられました。真剣な聴聞の一本道を進みましょう。(顕真2014年6月号 P13)

青字の強調部分は私が加えたものです。この部分は、会員が「このように高森顕徹会長から聞いた」という内容です。顕真の記事は弘宣局の校正が入っているので、高森顕徹会長が言わなかったことはここには掲載されません。上記の会員の発言と、支部長のまとめの発言を読むと、親鸞会館で行われた降誕会での高森顕徹会長が言いたかったことがよく分かります。


まとめると以下のようになります。

  1. 聞思=聴聞(親鸞会館に行くこと)
  2. 遅慮=聞法に誘われて聞きに行こうか、どうしようかとモタモタすること
  3. 親鸞聖人が「聞思して遅慮することなかれ」と言われた意味は、「モタモタせずに、親鸞会館に来て高森顕徹会長の話を聞け」という意味

高森顕徹会長が2日間かけて話した内容は、「あれこれ考えず親鸞会館や各地の会館で高森会長の話を続けて聞け」というものです。親鸞聖人が仰った本来の意味とは全く違います。正しくは、「聞思して」は「阿弥陀仏の本願のいわれを正しく聞いて聞き開けよ」という意味です。「遅慮することなかれ」は、本願をあれこれ計らうなということで、意味は「聞思して」と同じです。

このようにお聖教の言葉をつかって自分の都合のよいような意味にすり替えるのは秘事法門と同じ手口です。
秘事法門の人がよく使う根拠とて「この義は当流一途の所談なるものなり。他流の人に対してかくのごとく沙汰あるべからざるところなり。」(御文章5帖目5通)があります。秘事法門の人はこの御文章を使って「他の人にいうな」と言います。もちろん御文章をまともに読めばそんな意味ではありません。


秘事法門も親鸞会もそうですが、お聖教の言葉を出して説明は一応します。しかし、もっとも力を入れるようなところではお聖教の言葉だけ使って自分たちの主張したい意味に変えてしまいます。真宗の顔をして、真宗でない教えを伝えているのが親鸞会であり、高森会長です。

モタモタせずに、親鸞会を離れて、阿弥陀仏に救われて下さい。