当ブログ読者の方から、以下のサイトを教えて頂きました。
佛教淨土宗 Pureland Buddhism
上記のサイトは、台湾のサイトなので翻訳サイトなどをつかわないと意味が取りづらいところもあります。紹介して下さった方が一部を日本語に翻訳されたので、今回はそれを紹介します。
内容を先に言えば、「台湾布教をした自称親鸞会ナンバー2が、台湾で行った念仏誹謗と信心詐称」です。
個人名については、当ブログではイニシャルにしておきます。親鸞会から苦情がくるのも面倒なものですから。原文を参照したい方には、当エントリーの終わりに参照方法を掲載しますので参考にしてください。
以下、佛教淨土宗 Pureland Buddhismの文章と、日本語訳を紹介します。親鸞会講師はイニシャルにし、強調は私が施したものです。
親鸞會有一位高級講師名為「K.K」,四十幾歲,自稱在高森座下排名第二,學生時代即已親近高森,受其長期栽培。凡是被派到臺灣來的講師都是經過精挑細選的,因為他是講師中的佼佼者,故曾在臺灣擔過幾任的講師。
【訳文】親鸞会には「K.K」という上級講師がいた。高森の弟子たちの中では二番弟子であると自称し、学生時代から高森に親近(しんごん)しては、親しく教えを受けていた旨、自称していたものである。親鸞会は台湾へ派遣する講師に関しては相当によりすぐっている。Kはそうした講師の中でもとりわけ優秀だったので、台湾へ派遣されたのだった。
親鸞會說教的主軸是「信心決定」、「信的一念」(體驗的一念),而要獲得信心決定的一念體驗,必需前往日本親聽高森演講,若只是聽講師演講很難信心決定
;同時,若是真有一念的體驗,則更會只聽高森演講,一直聽到臨終,且終其一生絕不會離開親鸞會,否則表示其一念的體驗是假的不是真的。並且高傲自大的強調
「世界雖廣,宣講真實的佛法,唯有高森一人,絕無第二位!」
【訳文】 親鸞会の説教にあっては、「信心決定」と「信の一念」(体験の一念)ということが強調されており、信心決定の一念を体験したくば、結局のところははるばる日本まで赴いて高森の説法を聞かねばならないとされている。台湾へ派遣されている講師の話を聞くだけでは、信心決定は難しいとも言われていた。
あまつさえ、たとい一念の経験をしたところで、高森の講演が一層理解できるようになるに過ぎず、臨終まで高森からの聞法に励みつつ、しかも終生にわたり親鸞会を離れるはずもあるまい、とされている。さもなくば、その者の一念の体験はいつわりのものであるとされてしまうのである。しかも同会では傲慢にも「世界広しといえども、真実の仏法を説いているのは高森先生がおわしますのみ、二人目はいないのだ」などと宣揚されてさえいるのである。
既然如此,有人便問:「您應該信心決定了吧?」K回答:「還沒,不過,快了,差不多了。」此人頓時心頭涼了起來,有就有,無就無,哪有「快了,差不多了。」
你既然都沒信心決定,我們還有指望嗎?而在某個場合另外有人問K同樣的問題,K竟然回答:「我已信心決定,在十幾年前即已信心決定。」
「當時你信心決定的經過是個怎麼樣子?」「跟高森老師講的同個樣子。」再愚笨的人都能聽出他回答的真假,此人不免感到失望。【訳文】 それである台湾人会員が、「K先生、あなたご自身は信心決定なさいましたか?」と尋ねるに、Kは「いや、それがまだなんです。でももうちょっとですよ」
と答えた。するとその台湾人会員は一挙に醒めた気分に陥った。あるものはあるのであり、無いものは無いのである。「もうちょっと、もうちょっとなんです!」
などということがあり得ようか? K講師自身が信心決定していないのに、我ら一般会員にどうして希望があろうか? また別の場面で、これも別の会員が、同様の問いかけをした。すると今度はKの答えは、「いや、もう私は信心決定致しました。もう10数年も前のことです」などと語り、「ではどんな感じでしたか?」と問われるや、「そうですね、高森先生の場合と同様でした!」と答えた。これではどんな愚か者であっても、Kの答えがうそか誠か、たちどころに理解できよう。その会員は大きな失望を禁じ得なかったそうである。
然而不久K從日本述職回來,便主動向人宣稱這次回日本一趟,已經信心決定了。「那你信心決定的情形怎樣?」「不能夠講,差不多跟高森老師講的一樣。」
怪哉!在高森座下排名第二的高級講師,經過二十幾年親聞高森演講都不能信心決定,居然經不起一問,不久便信心決定,而且還不能夠講。
【訳文】 その後まもなくして、Kは日本へ業務報告のために赴き、台湾へ戻って来るやいなや、周囲に信心決定した旨、語ったそうである。「ではK先生、あなたの信心決定はどんな具合でしたか?」と問われるや、Kは「うまく表現できませんが、まぁ高森先生がかねておっしゃっていらした通りでした」と答えたそうである。
おかしなことである。自称高森の二番弟子でありながら、そして20数年にわたり親しく高森の教えに接しながら、まだ信心決定できないでおり、会員からの問いかけにも答えられない。そんな彼がやがてめでたく信心決定したが、それでもなおその有様を説明できないのであるというのである。
又,由於親鸞會極端排斥念佛,一天有人手持念珠在旁邊念佛時,這位K講師便立刻雙手按頭,頻喊頭痛欲裂;此人知情,立刻停止念佛,K頭痛也豁然痊癒。邪知邪行,荒誕行徑,可見一斑。
【訳文】 なお親鸞会ではお念仏を極端に排斥している。ある日、とある台湾人会員が念珠を手に念仏申していたところ、K講師は突如頭を抱えて「ああっ、割れそうに頭痛がするっ!」と叫んだ。そこでその有様にその会員が念仏をやめるや、たちどころにKの頭痛は癒えたのだそうである。
一九九三年我還在日本時,有一天搭乘電車,在車上遇到另一位講師,這位講師追隨高森近二十年了,由於資歷很高,言談之間,順便問他信心決定沒有,只見他怯懦的回答:「決定了。」「當時心境如何?」「很苦!很苦!」抓不著癢處的回答,可以體會到他回答得很苦。
【訳文】 1993年、私(慧浄法師)がまだ日本にいた頃、電車の中で偶然某講師に出会った。この講師も高森には20年近く教えを仰いでいる。そこで私は、その聞法歴の長さに目を付け、信心決定したかどうかを尋ねてみた。すると彼はおどおどした様子で「はい、頂いております」と答えた。そこで私が「信心決定の瞬間はいかがでしたか?」と尋ねると、彼は「苦しかった、苦しかったよ!」と答えた。要領を得ないその回答ぶりに、彼もさぞ苦労して答えているな、と感じたことである。
文中にもある慧浄法師は、一度は親鸞会に近づき、その後親鸞会を離脱した複数の台湾僧侶の一人です。
平成8年から10年ごろに親鸞会に在籍していた方は、台湾の僧侶の方々が親鸞会館に参詣していたことを記憶しておられることと思います。
しかし、サイト全体に書かれている教義面はさておいても、台湾での親鸞会講師の言動については驚きを禁じえません。
なぜなら「念仏誹謗」と「信心詐称」という真宗の布教をしていると自称するなら絶対にやってはならないことを二つもやっていたからです。また、台湾の方が念仏されると「ああっ、割れそうに頭痛がするっ!」と叫んだ。にいたっては言葉もありません。念仏誹謗は重い罪だとKさんも知っているはずです。すでに親鸞会を除名になった私でさえKさんの後生を念ぜずにはおれません。
ただ、前回のエントリーと合わせると、基本的な姿勢としては親鸞会の講師部員は上記のK講師とそれほど変わりません。なぜなら、私が上記のことを知ったのは本当にここ最近の事です。にもかかわらず、K講師は中国、台湾、香港の布教責任者の任を解かれたものの、その後は親鸞会内で高いランクに居続けていました。そんな人間を要職につけるようでは、親鸞会にとって親鸞聖人の教えはどうでもいいもののようです。
高森会長がいなくなった後の親鸞会をみるような気がしました。
最後にK講師に少なくとも信心詐称と念仏誹謗はやめるべきと言っておきます。
また「您應該信心決定了吧?」と聞いてみたいところです。
K講師自身が見ていなかったらこれを読んだ誰かが伝えてあげてください。
サイトの見方
佛教淨土宗 Pureland Buddhismは、それぞれのページにURLがつかないので、紹介します。
画面左の浄土真宗叢書をクリック
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32.回歸善導をクリック
↓
回歸善導をクリック
↓
「一念異安心之事」をクリック
その文中にKさんの名前が掲載されています。
追記 2014/07/04 18:17
コメントの指摘と、情報提供者さんの情報により中文和訳を修正しました。