親鸞会機関誌・顕真平成26年4月号を読みました。
今回書くのは、タイトルに書いた通りです。
今回の顕真の巻頭言は以下のものでした。
高森顕徹会長(宗教法人浄土真宗親鸞会)の著書「歎異抄をひらく」の一部分が載っていました。
どういうことかと目次をみると
とありました。
どういう記事かと思い、該当個所を開くと
とありました。大谷光真門主の著書に「歎異抄をひらく」にある「弥陀の本願まことだから」と同じ表現があったとのことです。
高森顕徹会長を知らない人が聞いたら「だから何なの?」と言いたくなる所です。しかし、高森顕徹会長は「本願寺に勝利した」と大はしゃぎで、講師部員にそのことを伝えたようです。その話を聞いた講師部員の高森顕徹会長への手紙が掲載されていました。
その中から一部紹介します。
ここで
「本願寺もやっと誤りを認めたか」と、世間の「勝った」「負けた」のレベルで受け止めてはならないとご教授いただきました。
とあるのが、特に高森顕徹会長の心情をよくあらわしています。
親鸞会講師部員は、親鸞会発行の本以外の仏教書を読むことを禁じられているので、「いまを生かされて」を事前に読んでいる人は弘宣局を除けばいるはずもありません。その講師部員に対して「「本願寺もやっと誤りを認めたか」と、いつものドヤ顔で話をした後、「世間の『勝った』『負けた』のレベルで受け止めてはならない(キリッ)」と締めくくったことは想像にあまりあります。
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その証拠に、今回の記事を読めば他の箇所にも
とあり、事実ベースでは勝利したが、勝ち負けで考えてはならないと、高森顕徹会長が勝利宣言をしたことを強調する記事になっています。
高森顕徹会長も高齢となり、親鸞会会員の間でも親鸞会の将来を危惧する声が聞かれるようになってきました。それを心配してか、会長も会員と講師部員の求心力を維持するために「使えるものはなんでも使う」といったところです。