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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「後生の一大事がわからないから」親鸞会に残る人、会を辞める人

最近別のブログにかいた以下のエントリーについて思ったことを書きます。
「後生の一大事がわかりません。どうしたら分かるのでしょうか?」(頂いた質問) - 安心問答(浄土真宗の信心について)

親鸞会では、「後生の一大事が分かる」または「後生の一大事に驚きが立つ」ということが、非常に重要視されています。そのため、親鸞会に残る人も、親鸞会をさる人もその理由に「私は後生の一大事が分からないから」という人が多いと感じます。


なぜそれに拘るのかといえば、高森顕徹会長は以前「後生の一大事に驚きが立ったら求道は90%終わったようなもの」「だから後生の一大事に驚きが立ったら赤飯炊いて喜ばねばならない」と言っていたからです。

では、親鸞会における「後生の一大事がわかる(驚きが立つ)」とはどんなことをさすのでしょうか?私が会で見聞きしたことと、現在会員の人に聞いた話を総合すると以下のようなものになります。

親鸞会における後生の一大事が分かった(驚きが立った人)人

  • 自分の命は明日とも知れないものであり
  • かつ自分は地獄行きのものと自覚し
  • 頭の火をもみ消すような真剣な聞法心が起き
  • 高森顕徹会長の法話と仕事が重なった場合は躊躇せず辞表を会社に提出して
  • 富山の親鸞会館で高森顕徹会長の話を畳に爪を立てながら、一字一句聞き逃さないと聞いている状態。
  • 後生が気になり、仕事はおろか、食事も睡眠もままならない状態

このような感じです。

しかし、そのような状態になっている人に、私と親鸞会にいる時に会った事がありません。勿論講師部にもそんな人は一人もいませんでした。


親鸞会を辞める人の中には、どれだけ頑張っても上記のような状態になれないことに悲観した人も多いです。とても真面目な方だと思います。また、親鸞会に残り続ける人も、上記のような状態になれないことは同じですが、会に留まっていたら後生に驚きが立つかもと期待しているからです。


こうして考えて見ると、組織問題、金銭問題、人間関係を除くと、親鸞会に残るのも辞めるのも共に「後生の一大事が分からない」という一点で共通しています。ですから、現在親鸞会に残っている人の多くは(長い人ほど)いつかは後生の一大事が分かるのではと期待をして日々活動をしているのです。しかしそれは、自身が阿弥陀仏に救われることを信じられないが故に「まずは後生の一大事が分かるところまで進もう」と考えているだけです。


また、よしんば前述のような「後生の一大事が分かった人」のところにしか現れない阿弥陀仏であるのならば、臨終来迎を期待していることになります。そんな阿弥陀仏の本願は間違いです。ただ今助けるとつねによびかけられるのが阿弥陀仏です。前述のような人にだけよびかけられるのならば、全ての人を救うことは出来ません。