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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

本願寺を批判する親鸞会は、本願寺から相手にされていないことを知っている件

最近の宗教法人浄土真宗親鸞会(会長:高森顕徹氏)機関誌は、本願寺派を中心に伝統教団への批判記事が溢れています。


最近のエントリーで書いたことを通して、現在の親鸞会本願寺派大谷派をはじめとする伝統教団に全く相手にされていないことを自覚していることが分かりました。今回はそれについて書きます。

最近の親鸞会機関誌から、真宗伝統教団への批判記事の紹介

以下の画像は、親鸞会機関誌・顕正新聞平成26年3月1日号より
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高森顕徹会長の著者「歎異抄をひらく」が出てから、伝統教団は高森会長を恐れて歎異抄の解説書を6年間にわたって出版出来ないんだ!!と、事実に反した妄想をここ数年にわたって顕正新聞の一面に掲載しています。


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「なぜ生きる2」(高森顕徹著)が出版されたことで、本願寺派の布教が破綻したと喧伝。



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毎回の漫画コーナーで、さらに駄目押し
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勧学が、質問をしても答えないかのような描写。ちなみにこの漫画で「梯(はしご)」としているのは、本願寺派の勧学の一人を示唆していることは容易に想像出来ます。

なぜ伝統教団への批判を繰り返すのか?

このような記事は、上記以外にここ最近の親鸞会機関誌に毎回見られるものです。親鸞会教義を知るものとすれば、仮に伝統教団が正式に反論をしたならば、親鸞会は一秒たりとも立っていられないことは明らかです。なぜなら、高森顕徹会長の説は、会長自身の妄想によるものでありお聖教に基づいていないからです。


それにもかかわらず、伝統教団への批判を続ける理由はたった一つしたありません。それは、伝統教団が親鸞会を相手にしないことを知っているからです。


ここで、本願寺座り込みをされた会員の方に説明しなければならないのは、そのころの親鸞会と現在の親鸞会は違うということです。確かに、昭和59年に本願寺に座り込みをしたときは、ある意味伝統教団も親鸞会を浄土真宗の団体として相手にしていました。また、親鸞会も実際に本願寺派に質問の回答を求めて本願寺の境内で座り込みをしていました。高森会長以外の、講師部、会員は本気で抗議をし本願寺派に回答を求めていました。当時は、お互いが浄土真宗の土俵に乗っていました。しかし、現在親鸞会が伝統教団に機関誌で批判を繰り返しているのは、過去の抗議行動と根本的に異なっています。


それは、現在は何を言ったところで伝統教団は親鸞会の言うことをまともに取り合わないことを、当の高森会長と弘宣局が自覚しているという点です。つまり、親鸞会の独り相撲になっています。何を言ったところで、伝統教団に相手にされないのをいいことに言いたい放題なのが現状です。まともな団体が上記の顕正新聞のような記事を掲載したら、伝統教団から苦情が入ります。しかし、親鸞会には苦情がくることはありません。なぜならまともな団体とみなされていないからです。それがないことが分かっているからこそ機関誌で、読むに耐えない記事を延々と掲載し続けています。無視をされるのならば、せめて内部統制の為に批判記事を載せようという考えです。


例えば、北朝鮮が周辺国のことを非常に強い言葉で攻撃をし、それを朝鮮中央テレビで流しているようなものです。そのような批判を北朝鮮が、正式な声明として相手国に書簡で送ることは滅多にありません。内部統制が主な目的の一つだからです。しかし、朝鮮中央テレビは周辺国からいろんな意味で注目されていますが、親鸞会機関誌は批判相手から注目されることはありません。なぜなら、影響力が全く違うからです。


どれだけ批判記事を書いて相手にもされないので、ますます表現が子供じみてきているのが今の親鸞会機関誌の現状です。「こっちを向いてください。親鸞会を浄土真宗と認めてください」と懇願しているとしか読めません。なぜなら、どれだけ「正統派」を親鸞会が自認しても、伝統教団がそもそも相手にもしないことが会員に知られれば離れて行くからです。万が一にも抗議文が伝統教団から来れば儲け物という考えです。かつて親鸞会批判論文をきっかけに、「腐敗した伝統教団に一人立ち向かう親鸞会」というイメージを会員に信じさせたことをもう一度やろうとしています。しかし、昭和は遠くになりにけりです。なによりも「なぜ生きる2」を出したことで、親鸞会に関心をもつ伝統教団の人はいなくなりました。その意味で「『なぜ2』の衝撃度 教えなき“正統派”の破綻」を親鸞会にもたらしました。あんな本を出しておいて、伝統教団が相手をすると本気で考えているのならいろんな意味で親鸞会は終わってしまったと言わざるをえません。


そもそも「正統派」もあくまで「(自称)正統派」であり、言った者勝ちのノリで言っているに過ぎません。丁度、ラーメン屋で「元祖○○屋」「本家○○屋」と言っているのと同じです。どちらも名乗るのに根拠は要りませんが、味が悪ければ客が離れて行くのは同じです。「正統派」を名乗るのも、伝統教団を攻撃するのも、会館以外の記事がないのも、ひとえに会員が離れて行っていることの顕れです。

歎異抄の解説書について

最後に、毎回の顕正新聞の一面に掲載されている「真実開顕を刻む時」について書きます。
親鸞会が主張するように、歎異抄の解説書がこの6年間出ていないと言うのは全くのウソです。しかし、親鸞会の主張としては「伝統教団の相当な学者が書いた歎異抄解説書が出ていない」だそうです。仮に私が、「歎異抄をひらく」の反論書を書いたとしても無視するようです。ただ、いつかは「伝統教団の相当な学者が書いた歎異抄解説書」は出版されるでしょう。しかし「歎異抄をひらく」について言及することは無いでしょう。
そうなったとき、親鸞会はその本を目を皿にして読んで「歎異抄をひらく」に関連するような箇所を探し出して騒ぐ。または、「歎異抄をひらく」の批判を避けた、それは「歎異抄をひらく」が完璧だからだ!!と騒ぐのでしょう。


親鸞会弘宣局のみなさんへ

親鸞会は正統派」と主張できたら、浄土往生できなくてもいいというのなら構いません。しかし、どうしても文字にしたいのなら新聞チラシの裏に書いてください。しかし、浄土真宗を信じるのなら、阿弥陀仏の救いを信じるなら、他を批判し、自らを正統派と言う前にただ今阿弥陀仏に救われて下さい。そんなあなたが正客の本願です。