親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

書評7「なぜ生きる2」二種深信の解説を前作「なぜ生きる」から、こっそりと変更している件

「なぜ生きる2」(宗教法人浄土真宗親鸞会会長 高森顕徹著)について、気がついたことを書いています。
今回は、「3章 この世の幸せ限りなし 必ず、十種の幸せに生かされる」から、「十種の幸せ6 弥陀に抱かれて(心光常護)」についてです。

人倫の哢言に恐れていては、仏法は説けないのである。(P78)

過去に色々と教義について批判を受けながら、反論を恐れて逃げ回っていた団体の会長の言葉とは思えません。「だからこうやって本を書いたではないか」と親鸞会の人は言うかも知れませんが、書いている内容は「反論」ではありません。なぜなら、この「なぜ生きる2」に書いてあるのは「批判意見を見た会員に対する弁明」と「言い訳できない批判の一部を素知らぬ顔で修正」しただけだからです。いわば、高森会長が親鸞会内部での求心力を維持する為だけに書いた本です。現在親鸞会会員の方で「以前と教義上で変わった記述がある」と気がつかれたならば、変更理由は前述したこと以外にありません。


以下、その「批判を受けてこっそり変更した箇所」を「3章 この世の幸せ限りなし 必ず、十種の幸せに生かされる」の「十種の幸せ6 弥陀に抱かれて(心光常護)」から紹介します。

地獄より行き場のない身だと疑い晴れ、いつ死んでも浄土往生間違いなし、と疑い晴れて炒るからだ。大悲の願船に乗ずると、何人も、この二つのことに疑い晴れる。
これを「二種深信」という。
「二種深信」ついては、『なぜ生きる』の二部11章から23章似詳述しているので、参照して頂きたい。(P79)

この二種深信とは、以下のご文です。

一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず
二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏四十八願衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。(教行信証信巻より)

http://1y3.1s.sl.pt

なかでも機の深信の説明が変わっています。
前作『なぜ生きる』から、機の深信の説明を抜粋して紹介します。

『なぜ生きる』での機の深信の解説を一言で言えば「機の深信=罪悪観、または罪悪の自覚」です。
以下、『なぜ生きる』より、機の深信について解説した箇所の見出しと、本文の一部を引用します。

「なぜ生きる」機の深信についての見出し

(14)親鸞聖人と刀葉林地獄―――機の深信

(15)「邪魔者は消せ」心底にうごめく“名利の冷血獣”

(16)ゾッとする巨悪の本性
(17)善いことをすると腹が立つ

  ◎わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、
   「ありがとう」の一言がなかったらおもしろくない
(18)「地獄は一定すみか」の自己との対面

(19)「悪人」とは人間の代名詞ー「悪人正機」とは

ご覧の通り、機の深信の説明として罪悪観が6章にわたって書いてあります。章の題名だけを見ても分かることですが、本文から抜粋します。

「なぜ生きる」機の深信についての記述

無明の闇が晴れると、自己の姿がハッキリ見える。これを「機の深信」といわれる。(14章)

聖人が自己のすべてを「雑毒虚仮」(他人ダマシのうそっぱち)と嘆かれたのは、無明の闇が晴れて知らされた、真実の自己の姿である。17章

 どうしようもないこの、極悪最下の自己を見きわめさせられた聖人には、
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(『歎異鈔』)
 ドン底の絶望しかなかったのだ。(18章)

「本来、人間には邪悪の心しかなく、まことの心もなければ、清らかな心も、まったくない」
 地獄一定の門を通らねば、決して知らされることのない、私達の実相であろ
う。(18章)

 自身は、現に、これ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし、と深信す     (機の深信)

「現在、私は極悪最下の者、果てしない過去から苦しみつづけ、未来永遠、救われることのないことがハッキリした」(19章)

機の深信は、罪悪観ではなく「自力無功」

善導大師が書かれ、親鸞聖人が引文された二種深信は、真実信心の信相を言われたものです。いいかえれば、真実信心の内容であって、個人の罪悪の自覚を言われたものではありません。


自分自身に浄土往生をする行が無い(自力無功)のであって、罪悪が深いことを主眼とされたものではありません。

自力無功であるからこそ、そのまま他力に全てをおまかせする(他力全託)となります。いわば「自力無功即他力全託」が真実信心の信相であり、二種深信の解説です。


前作「なぜ生きる」では、機の深信=罪悪観を前面に出していましたが、今回の「なぜ生きる2」では「地獄より行き場のない身だと疑い晴れ」と、分かったような分からない表現になっています。


それは、「自己の姿かハッキリする」に対する批判を高森会長自身が読んで、反論出来ないことを認めたからにほかありません。自身の誤りを自覚したからこそ、機の深信の表現を変えたのです。


そんな退会者が、退会して数年で学んだ事であっさり変更する程度の教義が「500年に一度の善知識」の60年の布教の集大成である「なぜ生きる」です。


その間違いを必死で弁明している本がなぜ生きる2です。
現役会員の皆さんは、この本を読んで疑問に思ったことは、どんどん担当支部長に尋ねて下さい。きっと納得できる返答はありません。
もしあったらお知らせ下さい。