親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

十劫安心の定義は教学聖典の通りに覚えたら間違いです(親鸞会機関誌顕正新聞平成25年8月1日号より)

顕正新聞(宗教法人浄土真宗親鸞会機関誌)平成25年8月1日号を読みました。以下、気がついたことを書きます。

以前から、親鸞会は「真宗十派は十劫安心に陥っている」と親鸞会以外の団体を批判しています。しかし、高森顕徹会長のいう「十劫安心」は定義が違うので的外れです。

今回、顕正新聞に掲載された箇所を紹介します。
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 十劫安心とは、弥陀が成仏なされた十劫の昔に、すでに我々は助かってしまっているのだから、今更求めることも聞き歩くことも要らぬという異安心である。
 蓮如上人は、「『十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまへることを忘れぬが、すなわち信心のすがたなり』といえり。これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし」(『御文章』2帖目11通)と十劫安心をただしておられるが、今日、真宗十派のほとんどが、この異安心に陥っている。(顕正新聞平成25年8月1日号5面より)

現役の会員の人はもちろん、元会員の人も上記の文章は目にされたことがあると思います。これは、親鸞会発行教学聖典7号にも出てくるものだからです。
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問(33) 十劫安心とはどんな異安心か。何をどう間違ったものか、喩えで示せ。

答(33)
○十劫の昔にすでに我々は助かってしまっているのだから、今さら求めることも聞き歩くこともいらぬと言う人達のこと。

私も、親鸞会でこの「教学聖典」を暗記していたので、「十劫安心」とはこのようなものだと理解していました。しかし、あらためて御文章の該当箇所を読みますと、親鸞会の説明は誤りだということがよく判ります。

上記の顕正新聞の文章から引用して、色を変えて分かりやすくしますと以下のようになります。

 蓮如上人は、「『十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまへることを忘れぬが、すなわち信心のすがたなり』といえり。これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし」(『御文章』2帖目11通)と十劫安心をただしておられる

つまり「十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定めましましたまへること」を「忘れぬ」ことが信心であるというのが、十劫安心です。もっと別の言い方をすると「忘れたらいけない」信心であり、「忘れたらアウト」な信心ということです。御文章をどう読んでも「すでに我々は助かってしまっているのだから、今更求めることも聞き歩くことも要らぬ」と現代語にすることは不可能です。


「聞いて忘れない」ことを信心としているので、蓮如上人は「これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信心を獲たる分はなし」と十劫安心を批判しておられます。

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ですから、顕正新聞の記事の後半に教学伝道研究センター顧問であり、大阪大学名誉教授の大峯顕氏の文章を「十劫安心だ!」と批判する記事を機関誌に載せることが如何に的外れかお分かりでしょうか?そもそも「私は十劫安心を間違って理解しています」と表明した上で、他人を批判しているのですから、自分の無知を晒しているようなものです。(ついでに言えば、引用された本を親鸞会弘宣局の人間がまとも読んでいるとも思えません。おそらく以下のブログからの孫引きと思われます。2011-11-14 - 手 品 師)


そこで、十劫安心を「聞いて忘れない信心」であるということになると、親鸞会会員こそ「十劫安心」ということになります。なぜなら、高森会長の話を聞いて忘れないことが善いことであり、教学聖典を覚えて忘れないのが、信心獲得への近道であると信じているからです。弥陀に帰命することなく、高森会長(親鸞会では善知識)の話や教学聖典の中身を忘れないこと大事にするのは、十劫安心にとても似ています。一万円以上の受講料を出してでも大導師以上の座談会に出て、その内容を克明に聴聞録をつけたり、信心の沙汰と称してどれだけ正確に記憶しているかを問題にするにいたっては、十劫安心にもならない「受講安心」といわざるをえません。高森会長の話を受講して安心しているだけですから、真実信心でもないし、浄土往生は叶いません。異安心の定義も間違えるくらいですから、真実信心についてまともに教えているか?と普通は疑問に思います。それについて現役会員の人なら今までのことを振り返ってよく考えてみたらいいと思います。


以前は、顕正新聞に教義的にまずい表現があると全会員から回収することが何度もありました。しかし、今回はどうするのでしょうか?現役会員の方で、顕正新聞の回収が行われたとか、教学聖典が改定されたなどの情報があれば、コメント欄でもメールでも結構ですから情報提供をお願いいたします。