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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。」(1年生さんのコメント_安心問答より)

安心問答のエントリーに書かれたコメントですが、内容から判断してこちらにエントリーとして書きます。

以下、安心問答のコメント欄より転載

1年生 2013/08/16 18:40
死後がどのようになるか分からない心は「無明の闇」なのでしょう?
あなた達は結局、まだその闇が晴れてないんでしょ?
真実信心と言えるものではないんだろうと思いますよ。
この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130816/1376645018#c1376646021


1年生さんのコメントについて、順番に書いていきます。

死後がどのようになるか分からない心は「無明の闇」なのでしょう?

「死後どうなるか分からない心」=「無明の闇」と仮に言えたとしても、「疑情=無明の闇」ではありません。おそらく1年生さんは、親鸞会会員の方だと思います。2013年3月10日の大導師以上座談会で、高森会長自身も言っていたそうですが、参加されていなかったのでしょうか?


これについては、以前にエントリーを二つ書いているので、それをよく読んで見てください。
「疑情≠無明の闇というのは私にとって驚愕でした。今までずっと二つの心はイコールだと思っておりました。そうすると無明の闇というものがなんなのか分からなくなってきたのですが、弥陀に救われると無明の闇もなくなるんですか?」(KYさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)
忙しい現役会員のための「無明の闇・疑情・後生くらい心」 - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ


上記のエントリーにも書いていますが、死んだらどうなるか分からない心=無明の闇と定義すると、真実信心を獲得するこということは「無明の闇が晴れる」ということにはなりません。
親鸞聖人が、無明の闇が破れたことを、阿弥陀仏に救われたこととして書かれる場合は、その「無明の闇」とは「本願疑惑心(疑情)」のことです。

よって、

あなた達は結局、まだその闇が晴れてないんでしょ?
真実信心と言えるものではないんだろうと思いますよ。

このように書かれていても、一年生さんのかかれていることは、1行目、2行目でいわれている「無明の闇」はどうも「後生暗い心」としてかかれているようです。ところが、3行目に「真実信心といえるものではない」と言われているのは、「疑情が晴れていない」という意味になっているので、意味が通じません。


真実信心とはあくまで「本願を聞いて疑い無い」無疑心です。一念多念証文に書かれている親鸞聖人のお言葉を紹介します。

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。(一念多念証文_浄土真宗聖典―註釈版P677)

http://goo.gl/JYTKkV

本願を聞いて疑い無いということは、「我が浄土に生まれられると思え」と誓われた本願に疑い無いのですから、本願通りに浄土に生まれられると思うということです。ただそれは、1年生さんが、コメントに書かれている

この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。

とは違います。


阿弥陀仏に救われたといっても、凡夫であることにはかわりはないので、この目で見るように浄土が見える訳でも、地獄が見えるわけでもありません。自分の後生を、自分の智慧の分斉で知ることはできません。ただ、南無阿弥陀仏と呼びかけられる阿弥陀仏の本願に疑い無いのですから、法の上から「往生一定」となると言っているのです。
ですから「後生がわかるのか?」と聞かれれば「何も分かりません」と答えます。しかし、「浄土へ往生できるのか?」と問われれば、「阿弥陀仏がそのように仰せられますからその通り参らせて頂きます」と答えます。「死んだらどうなるか分からないことが不安だ」という気持ちは何もありません。


そういうことを、1年生さんのコメントに皆さん書かれているので、改めて転載します。

id:shinrankaiuso 2013/08/16 19:41
『執持鈔』に親鸞聖人の御言葉を覚如上人が記しておられます。

往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。
さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。


親鸞聖人と覚如上人に言ってあげてください。

死後がどのようになるか分からない心は「無明の闇」なのでしょう?
あなた達は結局、まだその闇が晴れてないんでしょ?
真実信心と言えるものではないんだろうと思いますよ。
この世どんな体験があったにせよ、最も重要な後生についてどうなるか分からないのなら、信前の私と何も変わらないとしか思えません。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130816/1376645018#c1376649686

とくよしみね 2013/08/16 22:44
死後の世界が分かる?
自惚れもほどがある。
高森さんは本当に分かっているのか。
親鸞聖人でさえ
「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」
正像末和讃』と言われているのに。
この世のことさえ分からないのが、まして後生の世界が分かるわけがない。
幸せですね、仏様になったつもりの方が見えるのでしょうか。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏.

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130816/1376645018#c1376660648

ひな 2013/08/16 23:27
(略)
1年生さん、こんばんは!

私もあなたも「後生がわかるだけの智慧が無い泥凡夫」という点では、全く同じです。
だから、同じ泥凡夫同士、仲良くやっていきましょう!・・・(笑)

ところで、一年生さんは信前なのですね。
では、後生がわからなくて不安ですよね?

私は、後生がわからないけど不安ではないのですよ。
だって、どこに行くにしても阿弥陀様と一緒だからです。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」
・・・ほら、一緒でしょ?

もちろん、一年生さんにも阿弥陀様が付きっ切りですよ。
ただそのことに、今はまだ気付いていないだけなんですよね・・・