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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

法友通信「仏智疑う罪深し 破れるまで進め」(親鸞会機関誌・顕真平成25年7月号)を読んで思ったこと

顕真平成25年7月号を読みました。そのなか法友通信「仏智疑う罪深し 破れるまで進め」を読んで思ったことを書きます。

6月のテレビ講演では、「如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり」というご和讃で、親鸞聖人が「すぐれたり」と仰るのはどんな人か、そして、親鸞学徒の進むべき道を教えて頂きました。(顕真平成25年7月号P44)

この法友通信を読む限りは、因果の道理と善の勧めの話だったようです。以下、顕真より抜粋

釈迦が生涯、因果を説かれた理由
 富山県 親友部
(略)


娑婆往来八千遍因果を説かれた釈迦
 岐阜県 会員
(略)
 因果の道理をよく聞かせていただいて、深く信じ、三願転入の軌道に早く乗せていただきたいと思います。


心の悪は野放しで 罪福信じているのか
 富山県 親友部
(略)
「罪福ふかく信ぜしめ」、三願転入の軌道に乗せていただくとは、それほど有り難く、ほとんどの人ができないことなのかと思いました。
 十九願で勧めれれている修善は、無上仏にむかって力いっぱいする善だから、純粋な心が問われます。
では、自分はどうか。(略)

一部を抜粋しただけでも、この日は因果の道理の話と、「善を一生懸命やらねば三願転入の軌道には乗れない」という話だったということがわかります。

さらに、同じページには以前のこの和讚の解説が載っています。明記されていませんが、書いたのは高森顕徹会長です。
f:id:yamamoya:20130731153759p:plain
その最後はこう書かれています。

この弥陀の深意をツユ知らず。“我々凡夫に善ができるか”と放言し、善に向かうどころか善の勧めを非難するようでは、善果は来ないし苦しむだけで、この世から地獄になるのは当然だ。
まことに悲嘆すべき現状である。(『顕真』平成23年5月号)

この「放言」し「善の勧めを非難」する人というのは、主に親鸞会教義を批判する退会者を指しているのものと思われます。しかし、この文章の最後を読むと、高森会長の「善の勧め」は、「この世から地獄になる」ぞと、苦しみを強調して「苦しみたくなければ善をせよ」と言っているのがよくわかります。

同じ顕真に

仏教の究極の目的は「浄土往生」(P38)

と書いていながら、これでは何のための善のすすめかわかりません。

最近高森会長ががよく話をする図で言えば、滝壷に堕ちたくなければ善をせよといったところでしょうか。
f:id:yamamoya:20130731153730p:plain
(図は、親鸞会傘下のチューリップ企画発行・とどろき平成25年6月号より)


船にのって、一生懸命滝壷から逃れるために善をするという話を聞いて以下の唯信鈔のお言葉を思い出しましたので紹介します。

わたくしにいはく、浄土門に入りて諸行往生をつとむる人は、海路にふねに乗りながら順風を得ず、櫓をおし、ちからをいれて潮路をさかのぼり、なみまをわくるにたとふべきか。(唯信鈔・浄土真宗聖典―註釈版P1342)

http://goo.gl/N1tuEw

浄土門に入りながら諸行往生をしようと一生懸命善根を積み重ねている人は、海の旅で船に乗りながら帆を張って追い風をうけることもなく、自らの手で櫓を力いっぱい漕いで、潮の流れに逆らって進もうと波と戦う人と例えられるだろうかと、書かれています。


高森会長の主張するところの教えは、諸行往生にもなりませんが、「救われるには善をしろ」という点では同じです。しかしそれは、せっかく阿弥陀仏の本願を聞きながら本願念仏に背を向けて、善をまずやろうとするのは、唯信鈔の例えどおりです。先ほどの図で言えば滝壷にむかう船の上で、滝壷と反対方向に一生懸命櫓を漕いでいるようなものです。どれだけ一生懸命古井でも、行く川の流れは留まることはありませんので、やがて体力が尽きて滝壷に真っ逆さまです。


法友通信の中に「三願転入の軌道に乗せていただくとは、それほど有り難く、ほとんどの人ができないことなのかと思いました」とあったのは、会員の本音です。「ほとんどの人ができない」と知りながら、なぜ勧められるままにお布施や人集めの活動にまい進するのでしょうか?


それは、高森会長の文章に有る通りです。「善に向かうどころか善の勧めを非難するようでは、善果は来ないし苦しむだけで、この世から地獄になるのは当然だ」と、「(親鸞会で言う)善をしなければこの世も未来も地獄だぞ」というものです。とてもただ今浄土往生する身に救われるという気持ちはなくなっているのが現状です。


親鸞会の悪影響は、教義を曲げて伝えていることが一番ですが、それと同様に大きなものは浄土真宗の教えを聞こうとしている人が、阿弥陀仏の救いを諦めてしまうところです。


阿弥陀仏の救いは「ほとんどの人ができないこと」ではありません、ただ今救ってくださるのが阿弥陀仏の本願であり、南無阿弥陀仏のお働きです。

追記

コメント欄より

すがるとおり

>高森会長の主張するところの教えは、諸行往生にもなりませんが、「救われるには善をしろ」という点では同じです。

高森に献金するのは善行じゃないし(笑)。

と指摘があった点について追記します。

ここでいう「善」は、高森会長が親鸞会会員にむかっていうものなので、仏教で言う善とは異なります。間違った教えを弘める人物にお金を出すことは、仏教では布施とはいいません。