親鸞会機関誌顕正新聞11月1日号の一面記事を、あさ川さんのブログで読みました。
以下、思ったことを書きます。
親鸞聖人真筆のご和讃が発見されたと、10月4日の『朝日』をはじめ全国各紙に写真入りで報じられた。本願寺が発表、公開したからである。
その『和讃』には、
「如来の遺教を疑謗し
方便破壊せんものは
弓削の守屋と思うべし
親しみ近づくことなかれ」
と仏教の方便を破壊するものへの激しい怒りが記されている。「如来の遺教を疑謗し、方便破壊せんもの」とは、釈迦一代の教えを疑謗し、仏教を破壊する者のことである。
「方便破壊の群賊悪獣に賜る直筆の『ご和讃』発見される」 : あさ川進の、宗教と私
「弓削の守屋と思うべし、親しみ近づくことなかれ」とは、それらの者は聖徳太子を疑謗破滅した仏敵、物部守屋と思って間違いない、決して近づいてはならない、との教誨である。
釈迦一代の教えを疑謗することが、なぜ仏教の方便を破壊することになるのだろうか。(宗教法人浄土真宗親鸞会機関誌:顕正新聞平成24年11月1月号より)
最初の事実報道から間違っています。この和讚が見つかったと発表したのは、本願寺ではなく「本願寺維持財団」です。本願寺派、真宗大谷派が発表したのではありません。
「方便破壊」の意味は、今回の顕正新聞では
仏教の方便を破壊する
としております。その理由は後に続けて書いてありますが、もともとこの部分はそういう意味ではないので、いろいろと解説をしたとしても全く意味がありません。
この「方便破壊」は、浄土真宗聖典(註釈版)では「種々の手段で仏徳をこわすこと」となっています。ここでの「方便」は、「種々の手段」です。「方便願」でも「方便の教え(八万四千の法門)」でもありません。
このご和讃は、前回のエントリーにも取り上げましたが、法事讃の以下の部分を踏まえて書かれたものと思われます。
世尊法を説きたまふこと、時まさに了りなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ。五濁増の時は多く疑謗し、 道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。(浄土真宗聖典七祖篇(註釈版)P576_法事讃 巻下)
http://goo.gl/YD0bO
「時まさにおわりなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ」のが和讚でいえば「如来の遺教」となります。それを「方便破壊(種々の手段で弥陀の名を破壊)して競ひて怨を生ず」るものが、五濁増の時には多く現れると書かれている部分です。
これだけ意味が違うことを機関誌に書いて全国の会員に発送しているのは、それだけ親鸞会にとって「方便」が大事ということです。しかし、親鸞会でいう「方便」は具体的に会員に推進しているのはお布施の名のものに行われる金集めと活動です。
いかに会員の為、会員の後生のため、顕正のために書いた新聞ではなく、会のため、高森会長のために書いている新聞かがよくわかります。最初に事実報道部分から意図的に変えているあたりから、会員をミスリードしようという意図が伝わってきます。こうやって書けば、会員は和讚が「新発見」され(実際には真筆が見つかっただけで、以前からこの和讚は知られているものです。)、「お布施や活動が救いと関係ない」と批判するものは間違いと思うだろう思っているのでしょう。
顕正新聞と名乗る以上は、顕正をしてもらいたいものです。これでは顕正どころか方便破壊(種々の手段で仏徳を破壊)していることになります。