親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

(浄土真宗親鸞会会長)高森顕徹氏の死後へ舵を切り始めた親鸞会を機関誌から考える。

親鸞会の最近の機関誌を見ていると、以前と様子が変わってきたのに気がつきました。
どこが変わったというと、しばらく紙面に取り上げられることがなかったアニメ親鸞聖人の特集を突然始めた点です。

以下、紙面より一部紹介します。
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(顕正新聞平成24年8月1日号より)
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(顕正新聞平成24年8月15日号より)
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(顕真平成24年8月号より)

時機を同じくして、地元の活動もアニメ上映を中心にしていくそうです。
そこから考えられることは、今までの「地元で高森会長のビデオ法話→富山での会長の法話」という勧誘活動の根幹を変更するということでしょう。

なぜなら、高森会長自身が富山の親鸞会館で法話をするという機会は、最近特に減ってきているからです。8月5日(日)の追悼法要もドタキャンし、8月19日(日)に予定されていた二千畳座談会も中止になったようです(それでも会員は富山に集まるようにいわれているそうです)。たとえ体調が万全であったとしても、年齢を考えれば高森会長が親鸞会館で毎月話をするというのは現実的な話ではありません。


仮に、現在の活動を続けていけば「地元で高森会長のビデオ法話→富山に行くと高森会長の法話」では、富山まで出かけていく理由ががまったくありません。なぜなら、遠くない将来高森会長は富山で法話をしていないからです。8月19日(日)も二千畳でビデオ法話をするそうですが、誘われた会員(会員でない人)は、地元となにが違うのかと思います。そこで、地元ではアニメ上映→富山に行けば高森会長以外の誰かの話という形に変えたのだと思われます。


しかし、高森会長の代わりに誰が話をしたとしても、「あの」高森会長の劣化コピー以外は期待できません。なぜなら「高森会長が話したことがないことを話す」ことは、高森会長への冒涜と長年の会員ならびに講師部は考えてしまうからです。


最後に、誰が高森会長を継ごうが私には全く関心がないところですが、一つ言わせてもらいます。一度高森会長の教えを忘れて、まともに浄土真宗の教えを勉強することです。もし、高森会長の教えたことを遵守するというのであるならば、宗教法人浄土真宗親鸞会という名称は、宗教法人高森会に変えるべきです。