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親鸞会を脱会した人(したい人)へ

宗教法人浄土真宗親鸞会を脱会した人(したい人)の為に、親鸞会とその教義の問題について書いたブログです。

「お布施をすれば必ず返ってくると親鸞会で聞いています。近頃疑問に思うのは、返ってくると聞くと出した方が良い気がしますが、返ってくる為ならば始めから出さねば良いのではないでしょうか?」(幽霊会員さんより)

お布施をすれば必ず返ってくると親鸞会で聞いています。近頃疑問に思うのは、返ってくると聞くと出した方が良い気がしますが、返ってくる為ならば始めから出さねば良いのではないでしょうか? それとも法を聞けば因果の道理はウソで100円が200円になるのでしょうか? (幽霊会員さんより)


親鸞会で、お布施を会員に案内するときによくでてくる話です。
「因果の道理に間違いは無い。まいたタネは必ず生える」と会員に向けて話をしています。

「まいたタネは必ず生える」としても、親鸞会に出したお布施と称する現金は、一体なにになって返ってるのかといえば、「宿善になって帰ってくる」と親鸞会は主張します。

親鸞会は、かつては機関誌上でも「財施をすると宿善になる」と書いて、会員にお布施を要求してきました。

そこで本会では諸物価高騰の折柄、活動の円滑化を計るために会費の改正を決定しました。実施は52年1月からです。真実の仏法のため提供される浄財はすべて尊い宿善となります。この会費改正にあたって進んで宿善を求めさせて頂きましょう。(顕正新聞第175号、昭和51・12・20)
現代における異義の研究 伝道院紀要24号 - 本願力回向より引用)

この「宿善になる」という言い回しについて、過去に本願寺派から論文で批判をされて以来、批判をおそれる高森会長は機関誌から「宿善になる」という表現を使わなくしました。

しかし、現場レベルでは相変わらず同じ事を会員に言い続けているのが実状です。その証拠に、現在でも会員の人から、「支部長から宿善になるからお布施しなさいと言われた」という話は聞きます。

そもそも親鸞会の定義する「宿善」自体が間違いなので、どれだけ「お布施」を出しても、「宿善」となって返ってくるということはありません。出した分だけ、どこかへ消えていくだけで自分の手元にはなにも返ってきません。

お金だけでなく、時間も、労力も、親鸞会に出して帰ってくるものは何もありません。手元の資産が減り、時間を浪費し、疲労感が残るだけです。親鸞会は「人生の目的」と称して、「人生の目的を達成するために、あなたの人生を差し出せ」と要求してきます。そうやって、差し出した分の人生は二度と戻ってはきません。

親鸞会でいう因果の道理ではありませんが「悪いタネをまけば悪い結果が返ってくる」のは当然です。親鸞会には、お金は一円も出さないことです。今まで出したものは、返ってはきません。一日も早く親鸞会から離れることが大事です。